「死んだら食べられなかったオムライスの味」キャリアに悩むあたなたへ。転職7社、やりたいことをやって幸せになるためにボクがしてきたこと(23)
頭のどこかで、もっと感動的かと思っていたそのオムライスの味は、全く美味しくありませんでした。ボクが駅のホームから飛び込んでいたかもしれなかった1時間後に食べた、丸2日間何も食べなかった末に食べたオムライスの味は、感動的どころか、何の味もしませんでした。
突然の無力感
その日、ほとんど眠れず朝を迎えました。
「ああ。もう会社には行けない」そう思い、出られないベッドの中から、上司と仲の良かった同僚にメールをしたのは、明け方4時くらいでした。心のどこかで、会いに来てくれることを期待していましたが、そんな早朝に気付いてくれることもなく、返信が来た頃には、完全に動けない状態になっていました。月一全体会議の準備、ウェディングコンクール応募準備、業務効率化推進、増え続ける婚礼担当、同期の突然の退職、上からの期待に応えられていないという罪悪感。頭の中にはやらなきゃならないのに思うように進まないことばかりが溢れんばかりいっぱいになっていて、ガタンと、思考が停止してしまったのです。
自分でも気付かなかった黄色信号
前日、シフト休みだったボクは、友人を自社会場のレストランに招き、ランチを食べていました。いつもであれば、ランチ後、事務所で仕事をするくらいの勢いでしたが、その日は資料だけ取り、事務所にいるメンバーに声だけかけて、早々に帰路につきました。友人と別れた後の帰りがけ、上司とたまたま駅で会い、社内チャットで少し行き詰ってる感のボクに対して、「なんでそうなってるの?大丈夫?」といったことを言われ、「ちょっと限界かもしれません、全体会議なのに明日来れなかったらすみません」と笑いながら冗談で言ったのを覚えています。そして言っていた自分も冗談だと思っていたのですが、それは冗談ではなくなってしまったのです。
人が壊れる限界
ボクは仕事に没頭するのが大好きで、むしろ、仕事がなく暇をしているときの方が苦痛です。今でも、何の予定もない休日は退屈すぎるので、基本的に何かしらの予定を入れて、家にいることはほとんどありません。そんなボクが初めて、3ヶ月の無職を経験することになるのですが、そこまでの4ヶ月間、ボクは全く休みなく仕事を続けていました。休みなく仕事をする、とは、その状況は人によって異なるかと思います。多くの経営者は休みもなく常に会社や事業のことを考えているでしょうし、ボクも今も昔も休みなく仕事をしているようなものです。ただそのときは、4ヶ月間、朝は始発前にタクシーに乗り、夜は終電後にタクシーで帰り、休みであっても事務処理のために会社に行き、毎日労働をしていた、という言葉が近いかと思います。自社会場の立ち上げまでも休みはほぼなかったのですが、オープンまでは一過性のお祭り騒ぎのようで楽しく日々が過ぎていました。いざオープンすると、新しい会場ならではの問題を一つ一つ解決しながら、売上を伸ばすために、婚礼予約もウナギ上りに増えていきました。休憩をする暇もなく、ボクはタバコも吸わないので、お腹が空いているわけでもないのに朝昼晩コンビニのパンをほおばりながらパソコンに向かい、そうでない時間は打ち合わせや婚礼現場に立ち会う日々。仕事は楽しかったし、お客様も良い方ばかり、一緒に仕事をするメンバーやパートナーさんたちも大好きで、嫌だと思ったことは本当になく、当時まだそんな言葉も流行っていなかったブラック企業だとも思っていませんでしたし、いまだにそうは思っていません。
人間関係が悪いわけでも、仕事がつまらないわけでもなく、むしろ楽しかったはず。それでも4ヶ月間、休みなく、睡眠時間は毎日3時間程度、食事も不健康に労働を続けていると、人は壊れてしまうようです。
無力感と責任感のはざまで
無力感の後は、今週末も来週末も、半年先まで担当のある婚礼を全う出来ない申し訳なさからくる責任感、むしろ自分自身も楽しみにしていたはずの一組一組の婚礼を見届けられない悲しさに、頭の中はグルグルとした想いからはじまり、いつしか頭の中は真っ白になっていました。会社に行けなくなった翌日。丸2日、何も食べず、ほぼ寝られない状態の末、ボクは何を思ったのか、フラフラと急に外に出て、普段の通勤経路で、気付くと駅にいます。そんな状態になったのも初めてでしたが、久々に浴びる日光の中で、頭の中同様、ボクの目の前は真っ白でした。このまま飛び降りちゃえば、楽になるというより、なかったことにできちゃうのかな、そんなことが頭をよぎったのですが、そうそう簡単にそんなことも出来るわけもなく。多分、死のうと思って死ねるもんでもなく、そういうときは、本当に意識がない状態で、ボクもその手前スレスレまでいっちゃったんだろうなと思います。
ホームにいたはずのボクは、今度は気付くと、熱海行きの特急電車に身一つで乗っていました。呆然とした時間が過ぎた後、あぁ降りなきゃと、どこだか知らない駅で降りた頃には、ようやく気持ちもしっかりしてきていました。
とにかく食べよう
意識が戻ってきたボクは、丸2日間も食べていないことをようやく自分で理解して、降りた駅のビルにあった定食屋さんで、オムライスを注文しました。そんなに久しぶりに食べたご飯は、さぞかし美味しいと感じるだろうと思っていたのですが、そんなことは全くなく、無味でした。
それからボクは、総務の人に連絡をして会う時間を作ってもらい、ひどい顔のまま会って、今の状況を伝えました。それから数日後、もう一度会ったときには、ボクは退職を伝えていました。まさか自分が会社を辞めるなんて思ってもいなかったですし、そこまでで5社経験していますが、ボクも、会社の人たちも、ボクのことをよく知る友人たちも、ウェディングプランナーという天職に出会い、さすがにもう転職なんてしないだろうと思っていたのにです。
こうしてボクは思いもしない退職をして、無職になります。働きすぎで自殺した方のニュースが世間をにぎわし、働き方改革という言葉が流行り出す少し前の頃のことでした。
かなやんレベル26→27
・無になってしまうということ
・睡眠と食事は大事