「無職になった仕事大好き人間のボクに、やりたいことなんて何もなかった」キャリアに悩むあたなたへ。転職7社、やりたいことをやって幸せになるためにボクがしてきたこと(24)
ウェディングプランナーという仕事も、同じ会社やパートナー企業の一緒に働く人たちも、担当していた新郎新婦のたくさんのお客様も大好きで、ボクも周りも天職だと思っていた仕事を突然辞めることになり、ボクにはやりたいことなんて何もなく、社会人になって初めて、3ヶ月の無職な日々を送ることになります。
誰にも言えなかった退職
会社に行けなくなってから退職届を出すまでは、1週間ほどのことでした。総務の人からは休職も勧めてもらったものの、いつまでこの状態が続くのか自分でもわからない以上、たくさんの婚礼担当を持った状態で無責任に続けることは出来ないと思い、そのときのボクには退職するしか選択肢は考えられませんでした。
会社を辞めたことを親に言えたのは、それから半年後、次の仕事を始めてからしばらくのことでした。親に限らず、独身で一人暮らしをしていたボクは、退職したことを誰にも言えず、家にコモっていました。誰かに言う気力もなく、自分でもどうしてこうなったのかわからないのに、「なんで辞めたの?」と聞かれても困ってしまうと思い、誰にも言うことが出来なかったのです。
すぐに退職したことを話したのは、2人だけでした。毎月ご褒美ディナーを一緒にしていた前職の同僚と、劇団を主宰していたときから仲が良くて、前のめりになりすぎるボクをいつも心配してくれていた友人の2人。その2人ですら、実際に会ったのは退職から数週間経ったあとで、メールで伝えたものの、しばらくは誰にも会うことが出来ませんでした。
仕事どころか何もしたいと思えない
趣味らしい趣味もなく仕事が大好きだったボクには、仕事を辞めてみたら、他には何もしたいことがありませんでした。退職の手続きをしてくれた総務の人からは、好きだった映画や旅行に行ってみたら、と助言をくれたので、とりあえず、映画館と旅行に行ってみました。当時ヒットを続けていた「君の名は。」を観たら、ハマって10回くらい映画館で観て、聖地巡礼という言葉を知り、映画のモデルとなった場所に一人旅行もしてみました。働きすぎた後の旅行で、さぞかし優雅に楽しいかと思いきや、話題になっていたとは思えないほど聖地巡礼地は閑散としていて、いつもなら大好きな温泉や旅館の美味しい料理も全然楽しくない。それ以外は家にコモって、最低限のご飯を食べて、大好きだったのに忙しすぎて観ることをやめていたテレビドラマや、レンタルショップで借りまくった海外ドラマを観たりしていました。何か仕事をしなきゃと思いつつ、何もしたいことがないため、とりあえずアルバイトの面接を受けたりもしてみました。話した友人と日帰りで大阪USJに行ったりもしてみました。
でも、そのくらいのことは、1ヶ月もせずにやり切ってしまい、飽きてしまいました。
飽きっぽいボクは何もしないことにも飽きてしまい
もしかしたら、これをウツ病と言うのかもしれなかったのですが、飽きっぽいボクの場合、何もしないことにも飽きてきてしまいました。とは言っても、九州で修行までして入りたかった会社に入ってウェディングプランナーになってイケイケにしていた仕事を辞めてしまい、他にやりたい仕事なんて思いつきませんでした。仕事をしたくないわけではなく、やりたい仕事が何なのかわからなかったのです。だから生活のためだけだったらアルバイトでいいやと思いつつ、それすら何をすれば良いのかわからなかったのです。
このまま一生仕事をしないわけにもいかず、労働をしない稼ぎ方も知らないボクは、転職サイトやアルバイトサイトを見ているのですが、ピンとくるものはありませんでした。いくら天職だと感じていたとは言え、体を壊してしまったのに、またウェディングプランナーという気にもならず、ホテルや販売と言った、接客業の仕事で転職活動をゆるりと始めることにしました。
1ヶ月の転職活動の末に
サービス業はどこも人手不足なので、アルバイトでも正社員でも、いくつか内定を、あっさりともらえてしまいました。しかしながら、面接をしてくれた方の印象や、その場の雰囲気を見ていると、そこで仕事をしたいと全く思えない(どんだけ上から)。お世話になったパートナー企業の方からも一緒に仕事をしようと、いくつかお誘いも受けていました。
その頃になると、ようやく退職をしたことを友人に言えるようになってきました。その友人のうちの1人が、個人でやっているエージェントさんを紹介してくれました。実はそれまで、ボクは紹介会社を利用して自分自身が転職をしたことはありませんでした。今ほど転職が当たり前ではなく、エージェントに仕事を紹介してもらうことは、まだ敷居が高く感じていたからです。
そのエージェントさんはリクルートの卒業生で、独立して主にIT系の営業職を紹介している方でした。今の状況を包み隠さず話し、最後まで聴いてくださったあとに言われたことに、納得しかありませんでした。
「3年間九州で修行してまで入りたかった会社に入り、天職だと思えた仕事で、働きすぎで辞めたのであれば、どのサービス業に就いたところで、同じか、もっと悪いことの繰り返しになるのではないか。せっかくリクルートでBtoB営業をしたのだから、営業職で転職してはどうか。」
その後話してくださった、toB営業とtoC営業、無形営業と有形営業の難易度の話もすんなり入ってきました。toBの無形営業を3年もやってきたのであれば、どこの会社も不足しているので、いくらでも求人はあるし、toB営業であれば、基本的に土日は休みで、業種を選べば、同じように体を壊すことはあまりないだろうと。
狙いが定まればあとはすぐ
飽きっぽく、突っ走るボクの良いところは、行く先さえ決まれば、あとはわき目もふらずにすぐ行動するところ。
結婚式の音響時代、ボクを営業の道に導いてくれた求人広告営業の彼にも事情を話してすぐに会ってもらいアドバイスをもらい、いくつかのエージェントに登録して、自分でも法人営業しばりでもう一度転職サイトで求人を探し始めました。
そこからはあっという間で、そのエージェントさんの影響もあり、IT系の法人営業で探しているうちに、創業10年弱の20人ほどのWeb制作とWebマーケティングをしている会社の営業一人目の募集に、転職サイトからたどり着きます。いくつか営業職で受けているうちに、ホットペッパー時代のように、若さだけでガツガツ営業できるような歳でもないことに気付き始めていて、好きなように営業をやって良いというその会社のポジションにも惹かれました。一次面接から話をしてくれた社長とも気が合いそうで、リクルートでの経験をボクが思っていた以上に買ってくれたこともあり(ウェディングプランナー時代は、ビジネスの世界が異なりすぎて、リクルートでの経験はほぼなかったような気になっていたので)、すんなりとその会社に入社することが決まり、3ヶ月の無職に終わりを告げたのです。
こうしてサービス業やエンターテイメントの世界に長くいたボクは、結婚式の音響人事時代に営業の面白さを教えてくれた、新人営業マンの影響で興味を持ったリクルートの営業経験をステップにして、ビジネスの世界に戻ってくることになるのです。
かなやんレベル27→28
・やりたい仕事なんてなかった
・解決してくれたのは人だった