「満を持してウェディングプランナーになったものの」キャリアに悩むあたなたへ。転職7社、やりたいことをやって幸せになるためにボクがしてきたこと(18)
九州リクルートでの3年半の修業を終え、ボクは東京に戻り、宣言通り、ウェディングプランナーの会社に入ります。結婚式の音響時代、この会社に入りたいと思い、もっと自分を磨こうと期間限定のリクルートに修行に行き、有言実行、戻ってきたボク。新卒の会社を1年で辞めて以来、舞台や音響といった技術職から、リクルートでビジネスマンとしてゼロからやり直して戻ってきたボクは、それなりに自信を持って結婚式業界に戻ってきたのですが、そう甘くはありませんでした。完全にナメてました。
チームで創る結婚式
3年半の修業を経て、いよいよ入社した会社。リクルート入社前の結婚式音響会社では、100会場くらいの担当をしていました。その中で、なぜその会社に惹かれたのか。一般的にウェディング業界というのは、ウェディングプランナーがいるプロデュース会社が元請け会社となり、ドレス、カメラマン、司会、映像制作、お花、演出企画、ペーパーアイテム、引き出物など、たくさんの下請け会社が協力して一つの結婚式を創っています。その中でも音響会社は、金額で言えば下の下。元請け会社のウェディングプランナーからしてみれば、安ければ安い方が良い。そもそも音響に高いお金を払おうとは、なかなか思えません(それより、ドレスや料理、会場装花にお金をかけたくなるのが普通ですよね)。
ヒドイ扱いのところは、音響さんという下請け会社はいくらでもあるので、金額が高かったり音響が下手だったりすれば、切れば良い、下請けでしょ。そんな世界です。音響に限らず、大なり小なり、似たような感じが多いのが結婚式業界の常。
そんな中、ボクが惚れ込んだ会社だけは違いました。結婚式は一つのチームで創るもの。当日だけ来てくれる「音響さん」じゃない、一緒に大切な一日を創ってくれる「金谷さん」。音響に限らず、下請け会社を「下請け会社」とは呼ばず「パートナー」と呼び、新郎新婦に寄り添って、関わるスタッフ全員で創り上げていく。そういう会社でした。新郎新婦からしてみれば、高いお金を払う結婚式って、スタッフ全員で創り上げていることが当たり前だと思いますが(思わせているのですが)、それは大人の事情で、なかなかそうもいかないのが現実です。
ビジネスモデル上これは仕方のないこと。ですが、もともとチームで何かを創るのが好きだったボクにとっては、とても魅力的な会社だったわけです。音響として結婚式業界に入るまでは、全く興味がなかった業界でしたし、自分がウェディングプランナーになるなんて思いもしませんでした。なりたいとも思ったことがなく、単純に、その会社の人たちと一緒に働きたいと思ったのが原動力だったのです。このあたりも、ボクらしい軸が通っている仕事や会社の選び方だなと思います。
リクルート卒業後の自信は見事に崩された
そんな入りたかった会社に、3年半の修業を経て満を持して仲間入りしたのですが、一般的なビジネスの世界に比べると、そこは特殊でとても難しい世界でした。
3年半の契約社員であっても、卒業後は起業したり有名になったり、リクルートOBブランドは、単なるブランドだけではなく、実際のところ優秀な方が多いと思います。ボクもそれなりに自信を持っていたのですが、すぐに打ちのめされました。
まず、働いている人たちに女性が多い世界。やはり特殊です。今は一般的なビジネスに戻ってきたからこそ、なおそう思います。もちろん、会社によっても違うとは思うのですが、良い意味でも悪い意味でも、女性の感性が占めています。
働いている人もですが、お客様も基本的には新郎ではなく新婦中心。一生に一度の結婚式、やはり女性の憧れや思い入れは大きい。その女性をお客様として大切にしてくれるかしてくれないかで、男性の態度も変わってきます。
色々あるのですが、例えば慣れるまでに時間がかかったのは、結論ありきの端的なメールはNG。絶対にNGです。ビジネスの通説としては真逆。でも、日々不安と忙しい中でも頑張って結婚式を準備しているご新婦に対して、打合せは月に1度、全部で数回程度の中、大切なコミュニケーションツールの一つであるメールが淡泊であれば、寄り添ってないのと同じ。一般的なビジネスマンからしてみれば、なかなか難しいところでもありますし、もちろん、お客様全員がそれを望んでいるわけでもありません。そこを見極めるのもプランナーの腕。
女性が主役、一生に一度、家族と家族の大切な節目。。。結婚式の仕事は、最後は必ずハッピーエンドなので(もちろん、おふたりの人生はここから始まるので終わりではなく始まりであり、それを演出するのも仕事の一つなのですが)一緒に味わえる幸福感は、他の仕事にはない大きなものでした。その分、繊細で難しいことも沢山。オラオラ営業やってきた自分そのままでは、とてもじゃない、相手にされない世界だったのです。
チャンスは常にめぐる
入社してすぐはかなり苦労しましたし、慣れてからも油断するとすぐにクレームすれすれになっていました。人に寄り添うことの難しさと面白さを学べた仕事でもありました。
そうこうしているうちに、チャンスはすぐに巡ってきます。毎度のことながら、それがチャンスと思っている暇もなく、ただただ、実直に目の前のことをするのがボクです。配属された会場担当は、ベテラン先輩が一人で切り盛りしていた会場で、そのアシスタントとして仕事が始まっていました。そのベテラン先輩はボクの入社半年後には退職することが決まっていて、半年間で引継ぎをすることになっていました。半年後といっても、ちょうど結婚式の閑散期になるタイミングからボク一人になる予定だったので、なんとかそれまでに慣れていこうと、会社全体でもボクをバックアップしてくれていました。
ところがです。そのベテラン先輩が、ボクの入社1ヶ月半後に、急遽辞めることになったのです。しかも、大きなブライダルフェアイベントの前日に!もう、ブライダルフェアは初めましてのお客様がほとんどで、でもボクがこれから担当を引き継がなければならない方たちばかり。社長と一緒にとにかく挨拶をしまくって、わけもわからず、一日が終わったのを今でも覚えています。
そしてそこから、一年で一番の繁忙期に突入。本当はベテラン先輩がその繁忙期を終えて退職するはずで、その繁忙期でボクはアシスタントとして数もこなして仕事を覚えるはずだったのに、そのままボクが担当をすることになってしまったのです。繁忙期は毎週のように結婚式が立て続けにあるので、待ったなし。ベテラン先輩は常に頭の中に全てが入っていたので、あまり資料に色々なことを残していなく、引継ぎもままならない。むしろ新郎新婦に聴くしかない。それくらい時間がないまま、当日を迎える結婚式が目の前に迫っていた時期の引継ぎだったのです。音響さんとして結婚式業界にはいたわけで、全くの素人ではありませんが、それでも音響さんとは訳が違います。会社の人たちや、会場の人たち、音響時代からお世話になっていた他のパートナーさんたち、そして何より新郎新婦のみなさんのおかげで、大きな事故もなく(絶対がない世の中で、絶対に事故があってはならない結婚式。無事だったのは奇跡に近く、本当に沢山の人たちのおかげでした)繁忙期を乗り切ったのです。
自分の得意で乗り切る
ここでもやはり、乗り切るのは自分の得意を活かすしかありませんでした。事務処理能力と、人を巻き込むこと。なんのスキルもないボクの得意技はそんな程度ですが、それを120%活かすしかありませんでした。女性の世界で、最初は胃がキリキリしていたのですが、目の前の結婚式を考えると、そんなことも言ってられません。当時は、休みがないどころか、寝る暇もありませんでしたが、それでも、自分の得意を最大限に活かして、沢山の方々の協力を経て、その山を乗り切ることが出来ました。15人ほどの会社でしたが、ボクはあっという間に、ベテラン先輩の結婚式をそのまま引き継ぎ、担当数もすぐに会社でNo1になってしまったのです。
かなやレベル21→22
・郷に入っては郷に従え
・自分の得意でポジションを素早く獲る