情報の断捨離
朝の5時。昨日から始めた「文章の筋トレ」を朝起きてすぐに始めてみようと思う。目が覚めてから30秒でパソコンに向かっているとなんだか不思議な気持ちになる。「こんな頭の中空っぽの状態で書けるのか?」とか「有言実行しようとしてる自分偉いな」とか「俺は一体何してんだろ?」とか。いろんな思考や感情が湧いてくる中、今日も一筆書きで書く。
二月後半に『初めて鬱になりました』という記事を書いた。当時は あまりの無気力感に本当にどうしていいのか分からなかったのだけど、気分が落ち込んでいる期間に一つだけとても嫌なことが何度かあった。
他の鬱の方がどうなのかは分からないけれど、僕の場合はそれはそれは怖い程の孤独感や恐怖心で朝のとても早い時間(午前3時とか)に目が覚めるということが何度もあった。それが夢なのかなんなのかは分からないのだけど、何度もあった。
実は今日もその孤独感、恐怖心で目が覚めるということがあった。何日かぶりに朝から怖い思いをした。一旦話は逸れるけれど、noteに限らずSNSやリアルの場でも僕は嘘や綺麗ごとをやめることにした。だからこの件も正直に書こうと思う。朝の話に戻る。この孤独感、恐怖感に苛まれている時、みぞおちのあたりがキューっと重くなる。
人間の心は胸じゃなくてみぞおちにあるんじゃないかと思うくらい、みぞおちがキュッと締め付けられる。酸っぱいものを食べた時に口の中で舌を上顎にギュッと押し付けることがあるけれど、同じものをみぞおちで感じる。
なんだか暗い話に進みそうなのだけど、そうではなくて、どちらかというと一度鬱になったことでその対処法がなんとなく分かった、その孤独感に耐性ができたんじゃないかなというようなことを書きたかった。また鬱が来るんじゃないかなという恐怖の前前前段階にして、「このままではまた鬱が来るからその前にこうしよう!」と僕の中の小さな軍師が指示を出す。
もちろん対処法が分かった気になっているだけかもしれないし、鬱が治った気になっているだけかもしれないのだけど、今は自分を信じて動くしかないと思っている。
と、ここまで書いてようやく今日の本題といった感じなるのが読者の皆さんに本当に申し訳ないのだけど、僕は鬱になってから情報の断捨離に注力した。自分はSNSで流れてくる誰かの情報に感情がとても左右される人間なんだと分かったからだ。とても人と比べてしまう体質で、誰かの「上手く行った話」なんかは聞いていられないようだ。
日々流れてくる情報が僕の中の劣等感の栄養分になっているらしい。人の話を聞くだけでむくむくと劣等感が大きく成長する。このままではダメだと思い、自分のタイムラインに流れてくる情報を制限することにした。所属しているいくつかのグループからも距離を取り、今は自分に集中することにしている。
あまりいい方法でないことは分かっているのだけど、情報の激流に流されるよりはまだましだと思っている。今は目の前のことに集中。人は人、自分は自分ということだ。
文章の筋トレ、なかなかいいもんだ。ここまで30分もかかってしまったけど、起き抜けの文章トレーニングは頭が空っぽなだけに言葉の瞬発力が付きそうだ。これからもしばらくは起床0秒でやってみようと思う。では次は体の筋トレに行ってきます。みなさんおはようもう朝だよ。
サポートしてもらえるなんて、こんな嬉しいことはない。