私の話

私自身のことをちょっと書いてみようと思います。

現在、静岡市内のとある介護老人保健施設で作業療法士として働いています。
作業療法士とはいわゆる「リハビリの先生」です。

リハビリテーションを専門とする資格はその他にも理学療法士、言語聴覚士があります。
主に病院や老人施設で働く姿を見る機会があるかもしれません。
近年、個人事業主として働く方、教育現場や政治家として働いている方もいらっしゃいます。

さて、私の話に戻ります。
何でそもそも作業療法士になったのか―

これは同業者あるあるですが、高2の頃、自分の祖母が脳梗塞になり、祖父とリハビリ病院へ見舞いに行った時の事です。

そこで作業療法士と言語聴覚士のリハビリ風景を目の当たりにしました。

ただ単に「リハビリ」という概念しか知らなかった私へこういう職業もあるのだ。と教えられました。
この時、ちょっと興味のある職業として、私の中に芽生えました。

そして、高3の進路選択が迫られた頃―
その時の興味が強かったのは歴史(日本史)関連で、考古学や歴史学を勉強出来たらいいなあくらいに思っていました。
しかし、親に相談すると職業としての幅が狭すぎると言われました。
他にさしてやりたいことがなかった私は、ふと祖母のリハビリのことを思い出しました。
当時は理学療法士か作業療法士の二択しか考えておらず、言語聴覚士のことは後から知りました。
理学療法士はより科学的手法など器械操作もあり、難しそうだという理由で、作業療法士を選択しました。

学校は県内の専門学校に入学しました。
そこは4年制で、県内では珍しい専門学校でした。普通は3年制の専門学校が多いのです。
作業療法士は国家資格であり、3年以上の専門学校か4年制大学を卒業しなければ受験資格がないのです。
ちなみにそこの専門学校は私が卒業したその年の春から大学と統合して、専門学校ではなくなりました。

私はこの4年制の専門学校を1年留年し、5年間通いました。
臨床実習で失敗したため、1年間多く通ったのです。
留年するかどうか決める面談の時、親には怒鳴られ、教員には臨床実習を合格しなければ卒業どころか受験資格も得られないこと、臨床実習を不合格になった理由、失敗しないための方法を考えろと言われました。しかし、私はただ一言、よろしくお願いします。としか言えませんでした。

臨床実習では、課題が課され、最後にはレポートを仕上げなければなりません。
30枚近くも。
それも億劫なことでしたが、私が担当指導者とコミュニケーションを取ることがヘタクソだったのです。
聞かれたことに対して、答えられないならまだしも、黙ってしまって何も言葉を発さなかったり、論理立てて話せないことが致命的でした。
患者さんを目の前にしてもどこか閉鎖的であったり、ただ話をするだけならいいのですが、評価や治療など、専門的なことを組み立てて行うことが出来なかったのです。
そして、それを指導者にも充分に報告や相談が出来なくて、不合格となりました。
専門学校では、再実習という救済措置があったのですが、そこでも1度不合格となり、留年となりました。

結果としてカッコよく言えば、留年して良かったかもしれません。何故かと聞かれると、臨床実習へ挑むに当たり、私の中で自信を取り戻す時間が作れたことが大きいです。

実際、実習期間中に同じ境遇の学生がいたことで、彼・彼女らとコミュニケーションが取れたことで指導者とも円滑に話が出来た所がありました。

しかし、臨床実習は2度実施するのです。

留年後の臨床実習で1度目は良かったですが、2度目もまた失敗しました。
この時にも救済措置が取られました。
この時の再実習は何とか乗り越えることが出来ました。

一丁前なことを言ってみたのものの、やっぱり似た様な失敗を重ねていて、自分自身の発信力の低さが問題だと思いました。
このことは、やっとのことで就職したにも関わらず、1年目から3年目くらいまでずっと自分の殻にこもり、働きにくさや窮屈さを抱えていました。
怒られないように。失敗しないように。
自分の保身ばかり考えていました。

しばらくしてから、ある時大丈夫。何とかやれる。と少し前向きに考えられる様になりました。
転機となったのはどういう理由かは覚えていません。

今現在もやっぱり窮屈さやモヤモヤした感覚はあります。
しかし、患者さんに対して、彼・彼女らがどうしたらいい方向に変わるか、元気になってもらえるか。対象が外に向いて来ました。

長くなってしまったので、この辺で終わります。
また気が向いたら、書こうと思います。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

#リハビリテーション
#作業療法士
#私の仕事

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