第69号『日産の変転とホンダとの経営統合の行方 〜整備士の視点で見る現代社会(5)〜』
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第69号
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さて、今回は第69号
『日産の変転とホンダとの経営統合の行方 〜整備士の視点で見る現代社会(5)〜』
です。
1. 日産の歴史的転換
僕が自動車運転免許を取得した1989年(平成元年)は、日本の自動車史で最高に活気のある頃だったのではないかと思ってます。
日産だけ見ても、リファインされたフェアレディZ(Z32)に、スカイラインGT-R(BNR32)の復活、シルビア(S13)、180SX、シーマやPAO、一部の愛好家に今も大切に乗られている名車の数々。世界が日本車の品質を認め、お手本にされるようになりました。
しかし、それからたった10年で日産は経営難に陥ります。約2兆円の有利子負債、1990年代の市場シェアの継続的な低下、過剰生産能力と非効率な経営体制、バブル崩壊後の不良債権問題など、当時、日産の状況は極めて深刻でした。
倒産寸前だった日産を、ルノーが事実上経営権を握る形で資本提携が行われ、早いもので四半世紀が経ちます。
仏ルノーとの提携の一環としてカルロス・ゴーン氏が派遣され、現実を知らない言い方で大変恐縮ですが、日本の伝統的な経営慣行にとらわれない、外国人経営者だからこそ「日産リバイバルプラン」という大胆な改革が実行でき、日産は驚異的な復活を遂げたと思います。
その主な内容は、5つの工場閉鎖、2万1000人の人員削減、系列取引の見直し、グローバルでの部品の共通化などの強力なリストラクチャリングでした。
2. 整備現場から見た日産車の変化
現在もお世話している1995年式の「かつての」日産車がありますが、故障する気がしないくらい堅牢で、丁寧にお乗りということもあり、去年27万キロの走行距離に到達し、30年の車齢を感じさせない好調ぶり。
1990年代以前の日産車は故障しにくい工業製品であることは確かで、冒頭に挙げた車種などは生産から40年が経とうとしていますが、朽ちない品質で普通に使える旧車として成り立ち、値打ちが下がらないことに納得します。
高品質は消費者にとっては歓迎すべきことですが、かつての日産車は無駄や非効率で会社経営を圧迫していたのです。
2000年代以降の日産のクルマにお乗りの方はご承知のことと思いますが、それはもはや
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