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毎週一帖源氏物語 第三十八週 鈴虫

 昼間はまだ暑いが、日が落ちたあとに虫の声を聞くようになった。季節は秋に向かっている。

鈴虫巻のあらすじ

 夏頃、入道の姫宮の持仏開眼供養が営まれる。宮が読むための法華経は、源氏自らが書く。さまざまな道具の準備には、紫の上をはじめとする女君たちが力を尽くす。法要も盛大に執り行われる。
 秋になり、寝殿と西の対のあいだを野原の風情に仕立てて、虫を多く放つ。八月十五夜、源氏がそちらに渡って、虫の声を愛でる。源氏は松虫より鈴虫をよしとして、歌に詠む。そして、久しぶりに琴(きん)を弾く。
 そこへ兵部卿の宮と大将がやって来る。内裏で月の宴が催されるはずがとりやめとなり、上達部も次々に六条院に参上する。しばらくすると、冷泉院よりお召しがあり、源氏をはじめ人々はそちらに向かう。管弦の遊びがあり、冷泉院は大いに喜ぶ。
 源氏は中宮のもとを訪れ、昔語りをする。中宮は出家の希望をにじませるが、それというのも母御息所が「罪軽からぬさまにほの聞くこと」(359頁)があったからである。源氏は中宮に出家を思い止まって、追善供養にとどめるよう促す。

源氏五十の賀は、祝われないのか、語られないだけなのか

 若菜上下巻では、源氏の四十の賀と朱雀院の五十の賀が祝われた。横笛巻で四十九歳だった源氏は、この鈴虫巻で五十歳になっている。五十の賀は帝位にあった人に限られるわけではない。少女巻では、源氏が紫の上の父に当たる式部卿宮のために五十の賀を執り行っている。だから、源氏ほどの高貴な人なら、当然そういう話が持ち上がるはずだ。それなのに、源氏の五十の賀はまったく描かれないのだ。似たような話を繰り返しても意味がないという判断なのだろうか。
 ついでなので確認しておくと、源氏と秋好む中宮の年齢差は九つ、中宮と冷泉院の年齢差も九つである。源氏が五十歳なので、中宮は四十一歳、冷泉院は三十二歳という計算になる。

鈴虫は松虫、松虫は鈴虫

 松虫と鈴虫は、当時と今とで逆になっているらしい。昔の文献で「松虫」とあれば、それは現在「鈴虫」と呼ばれている虫を指す。逆もまた然り。鈴虫巻でその鳴き声を愛でられているのは、現在の「松虫」である。「りんりん」ではなく「ちんちろりん」と鳴くほうだ。
 『日本国語大辞典』の項目「すずむし」でも、最初に掲げられる語義は「松虫の古称」である。さらに詳しく、次のように説明されている。

「鈴虫」と「松虫」の名は、いずれも中古の作品から現れるが、〔……〕鳴き声によって区別することができる文献は近世に入るまで見当たらない。そのうえ、近世の文献においても両者は混同されており、一概にどちらとも決め難い。〔……〕しかし現在では、中古の作品に現れるものについては、「鈴虫」を「松虫」と、「松虫」を「鈴虫」と解するようになっている。

『日本国語大辞典』第二版、項目「すずむし」

 若菜下巻で猫の鳴き声を「ねうねう」と表記している例があったが、残念なことに松虫や鈴虫の鳴き声は文字化されていない。二つの虫の呼び名は、いつ入れ替わったのだろうか。

三人の子への源氏の思い

 源氏の実子は、生まれた順に冷泉院、夕霧、明石女御の三人である。その将来は、宿曜の占いで「御子三人、帝(みかど)、后(きさき)かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは、太政大臣にて位を極むべし」(澪標巻、第三分冊、17頁)と告げられていた。夕霧はまだ若いので太政大臣にはなっていないが、出世は順調である。占いを疑う理由は、源氏にはない。
 三人の子の運勢がどう定められているかと、それぞれに対してどのような思いを抱くかは、おのずから別の問題である。源氏の内心が、この巻で明かされる。

春宮の女御の御ありさまの、並びなくいつきたてたまへるかひがひしさも、大将のまたいと人に異なる御さまをも、いづれとなくめやすしとおぼすに、なほこの冷泉院を思ひきこえたまふ御心ざしは、すぐれて深くあはれにぞおぼえたまふ。

鈴虫、361頁

 やはり、藤壺とのあいだにもうけた冷泉院への思い入れは格別なのである。

仏に何を祈るのか

 鈴虫巻は女三の宮の持仏開眼供養に始まり、秋好む中宮の出家願望をめぐるやり取りで締めくくられる。二人はそれぞれ何を祈るのか。
 女三の宮が何を求めているかは、どうもよく分からない。柏木と通じて子をなしてしまった自分の宿世を厭い、源氏とともに過ごす状況から脱却したいという以外に、仏道に専心する理由がなさそうに見える。寿命が来るまでの時間かせぎとすら思われる。一方の中宮には、母である六条御息所の成仏のためにできるだけのことをしたいという明確な意図がある。
 源氏の態度にも違いがある。女三の宮に対しては、朱雀院の手前もあって、不自由がないように「なほ生ける限りの心ざしをだに失ひ果てじ」(350頁)とする。そこにあるのは「配慮」である。中宮の真意を聞かされた源氏は、「げにさもおぼしぬべきことと、あはれに見たてまつりたまうて」(360頁)と理解を示す。そこにあるのは「共感」ではなかろうか。

目蓮と六道

 源氏は中宮の出家願望をもっともなことと思いつつ、それでもなお反対する。その理由として、目蓮の真似が難しいことを挙げる(「目蓮が仏に近き聖(ひじり)の身にて、たちまちに救ひけむ例(ためし)にも、え継(つ)がせたまはざらむ」(360頁))。
 目蓮(目連)は釈迦十大弟子の一人で、六道を自在に往来する力を得ている。六道とは、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天の六つで、衆生はこれら六道を輪廻すると考えられていた。目蓮は自分の母が餓鬼道に堕ちているのを見て、供養に努めた結果、母は天に生まれ変わったとされる。この話は『仏説盂蘭盆経』に載っているらしく、お盆の由来である。今年の夏は義父の初盆があったのだが、お経を上げてくれたお坊さんからちょうどこの挿話を伺ったところだった。
 ちなみに鈴虫巻冒頭では、女三の宮の持仏開眼供養にあわせて、「経(きやう)は、六道(ろくだう)の衆生(しゆじやう)のために六部書かせたまひて」(346頁)と記されていて、ここでも女三の宮と中宮の道心はつながっている。

絵巻では夕霧とおぼしき人が横笛を吹く

 新潮日本古典集成の第五分冊巻末付録に、「源氏物語絵巻」がいくつか掲げられている。ここでは「鈴虫 二」(図録三)に注目してみたい。五島美術館が所蔵していて、ネットで見ることができる。カラーなのがありがたい。
 冷泉院から月見の宴にお呼びがかかり、源氏、螢兵部卿、夕霧などが参上する。絵巻では、左上でこちらを向いているのが冷泉院で、柱を背に対座しているのが源氏とされる。公達も何人か描かれているが、簀子で横笛を吹いているのが夕霧と目される。柏木伝来の横笛は源氏に託したので、それとは別の笛ということになる。柏木ほどではないにせよ、夕霧も笛の名手と見なされていたため、このような図案になったのだろう。
 この絵巻のうち、冷泉院と源氏が向かい合っている部分が二千円札裏面にあしらわれている(表面は首里城守礼門)。個人的には、二千円札があまり流通していないのが残念でならない。フランス・フランでもユーロでも、現金の紙幣や硬貨が一、二、五で揃っているのは便利だと思っている(いた)のだが。

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