「学年誌100年と玉井力三 ―描かれた昭和の子ども―」展(日比谷図書文化館)
2022年11月11日、日比谷図書文化館で開催中の「学年誌100年と玉井力三 ―描かれた昭和の子ども―」展に、会期末ギリギリになって行ってきた。
https://www.library.chiyoda.tokyo.jp/information/20220916-hibiyaexhibition_gakunenshi/
私は玉井力三(1908-82)という画家を知らなかったが、長年にわたって小学館の学年誌(学年別・学習雑誌)の表紙絵を描いていた人である。小学館が『小學五年生』と『小學六年生』を創刊したのが1922(大正11)年で、今年は百周年に当たる。本展覧会は、その節目にあわせて開催された。
玉井力三が初めて小学館の学年誌で表紙絵を手掛けたのは、1954(昭和29)年のことである。以来、約20年にわたって表紙絵を描き続けた。基本的な構図は、男女の子供が一人ずつにこやかに笑っている姿である。子供の年齢は対象となる学年に合わせられており、季節感も考えられている。
この点を考慮して、会場ではまず4月号から3月号までを月ごとに分けている。そしてそれぞれのブロックでは、『小学一年生』から『小学三年生』までの三学年分を下から順に三段に積み上げ、時代順に左から右へと表紙画を並べている。こうすることで、同じ学年の同じ月の号の変遷を辿ることができる。たとえば『小学二年生』の1月号の絵を見比べて、世相の変化――あの頃は『オバケのQ太郎』が流行っていたが、この時代になると『ウルトラセブン』が人気だったのだな、とか――を何となく感じ取ることができる。
意外だったのは、原画が紙ではなくキャンバスに描かれていたことだ。印刷の原版にするなら紙が便利そうだが、玉井力三は画布を選んだ。適切な言い方かどうか分からないが、「普通の絵」を描くように表紙絵を仕上げていたのである。
私自身『小学○年生』は年次進行で購読していたので、何となく懐かしい。当時は中身や付録を楽しみにしていて、表紙には特段の注意を払っていなかった。まあ、ほとんどの子供はそうだろう。雑誌によってデザインの傾向は決まっていて、「その範囲に収まる図柄」という認識しかなかった。そこから外れていたら違和感を覚えただろうが、そういうこともなかった。存在を意識させない表紙に仕上げるのが、職人技というものだろう。
しかし、どうやら私は「玉井世代」ではないらしい。自分が読者だった時代には、絵から写真への移行がほぼ完了していた可能性が高い。廊下に『小学一年生』の表紙が年ごとにずらっと並んでいたのだが、ある段階で絵が写真に切り替わっている。
私が『小学一年生』の読者だったのは1975(昭和50)年で、この年の9月号がどうも怪しい。8月号は明らかに絵だが、9月号は写真のように見える(断言できないのが玉井の画業の凄さだ)。右にある1974年の『小学一年生』はすべて絵だし、左の1976年になるとすべて写真らしく思われる。この推定が正しければ、私は学年誌を読み始めて最初の五カ月間だけ玉井力三の表紙絵に接していたことになる。その後の私の目に入っていたのは、「玉井力三の画風に寄せた写真」だったのかもしれない。
会場の説明では、玉井力三が表紙絵を描かなくなったのが何年何月なのか、正確には分からなかった。そこは年譜に書き込んでおいてほしかったと、残念に思う。そうした小さな不満はあるものの、全体としては見ていて楽しい展覧会であった。