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毎週一帖源氏物語 第三十七週 横笛

 大河ドラマ「光る君へ」で、まひろが物語を書き始めた。今はまだ序盤だが、ドラマが進むにつれてまひろの物語もどんどん進むことだろう。私はいつ追い抜かされるのだろう。

横笛巻のあらすじ

 権大納言が亡くなって一年、多くの人がその死を悼んでいる。六条の院も法要に心を尽くす。
 朱雀院は二の宮の境遇を不本意に思うとともに、入道の宮には頻繁に文を送る。宮が院の歌に答えて「あらぬところ」(322頁)への思いを詠んだのを見て、源氏はうらめしく思う。朱雀院からは春の野山の心ざしとして筍(たかうな)や野老(ところ)などが贈られ、若君は無邪気に這い出して歯を当てたりする。源氏はその姿を温かく見守る。
 秋、大将は一条の宮を訪れる。直前まで琴などを弾いていた名残が見え、大将は和琴を手に取って掻き鳴らす。大将は宮の演奏を所望するが、すぐに承知してもらえるはずもない。それでも、大将が琵琶で想夫恋(さうふれん)を弾いて重ねて合奏を願うと、宮は終わりのほうを少しだけ弾く。御息所は、故君愛用の横笛を大将に贈る。
 自邸に帰ってみると、格子が下ろされている。大将は、今宵の月を見ないのかとこぼしながら、横笛を吹き鳴らす。少し居眠りすると、衛門の督が夢に現れる。笛は別の人に伝えたいと思っていたと言う。その相手は誰かと尋ねようとしたところ、若君がむずかって泣いている声に目が覚める。乳母だけでなく、上も起き出して甲斐甲斐しく世話を焼く。そして、夜更かしして月を愛でている大将に嫌味を言う。
 このまま笛を持ったままでいるのもためらわれるので、大将は六条院まで相談に出向く。ふだんは東の対にいる三の宮や寝殿にいる二の宮と若君は、それぞれむつび合っている。源氏はその様子をほほえましく眺めている。若君はまなざしや口もとなどが衛門の督に似ているように、大将の目には映る。大殿が気づいていないはずはない。大将が前日の一条の宮訪問の話をすると、源氏は想夫恋の演奏に応じた女二の宮を批判する。大将はそれを聞きながら、他人には説教を垂れるのだなと感じる。話の流れで横笛のことを伝えると、源氏はその笛の由来を語りつつ、自分が預かると言い渡す。大将はこの機をとらえて、衛門の督がいまわの際に述べたことを伝える。源氏は空とぼけつつ、大将が勘づいていることを察知する。

夕霧をめぐる三角関係の予感

 柏木が亡くなってから、夕霧はずっと落葉の宮のもとに通っている。柏木巻では落葉の宮の肉声は聞かれなかったが、この横笛巻では想夫恋の演奏があり、歌の贈答がある。緩やかにではあるが、二人の距離が縮まっている。
 正妻の雲居雁は、夕霧の浮気に不満を募らせている。格子を下ろしてさっさと寝てしまうところなど、分かりやすい意思表示である。子だくさんの世話女房になった雲居雁には、夕霧はもはや色気を感じないのかもしれない。

若君たちのむつび合い

 六条院では、多くの若君たちが養育されている。この柏木巻では、明石の女御腹の二の宮と三の宮、そして薫が仲むつまじく遊んでいる。この三人の行く末に注目したい。
 個人的には、東の対で紫の上が養育している三の宮(匂宮)の無邪気さがかわいらしいと感じた。三の宮が夕霧に向かって「大将こそ、宮抱(いだ)きたてまつりて、あなたへ率(ゐ)ておはせ」(335頁)と自分に敬語を使ってしまうところや、「人も見ず、まろ、顔は隠さむ。なほなほ」(336頁)と顔を隠せば人に見られないと思っているところが、何とも言えずほほえましい。

親子の腹の探り合い

 柏木が女三の宮に恋い焦がれていたことに、夕霧は早くから気づいていた。密通があったことも、薫の父が柏木であることも、確たる証拠がないだけで、たぶんそうだろうと思っている。もし夕霧がとことん鈍感で何も分かっていなければ、柏木の臨終の様子を源氏に伝えることに躊躇はなかっただろう。微妙な話題だと思うからこそ、時機を探っていたのである。
 横笛の相伝をめぐって柏木が夢枕に立ったことは、夕霧にとってちょうどよい話のきっかけになった。「今しもことのついでに思ひ出でたるやうに、おぼめかしうもてなして」(341頁)、柏木がいまわの際にもらした執り成しの言葉を「いとたどたどしげに」(同)伝える。夕霧はふと思い出したように装い、さらに理解に苦しむふりをしているが、もちろんそんなはずはない。話を聞いた源氏も「さればよ」(同)と思いつつ、「みづからもえ思ひ出でずなむ」(同)としらばっくれる。相手が素知らぬふりをしていることも、お互いに分かりきっている。腹の内を明かすことなく合意が成立するすさまじさ。
 ともかく、夕霧は父の源氏に敬意を払っているが、やみくもに畏れているわけでもない。批判精神も持ち合わせている。落葉の宮に対する自分の態度を注意されたときも、正面切って反論することこそ控えるものの、「さかし、人の上の御教へばかりは心強げにて、かかる好きはいでや」(339頁)という感想を抱いている。父の忠告を聞き流しておくくらいの図太さはあるのだ。

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