『ほくろ』① ~考察系ホラーという試み~
ここ数ヶ月というもの、漠然した死への恐怖がわたしの身にべっとりと纏わりついて離れない。その感覚は、昼夜を分かたず、ふと気を緩めるたびに現れ、日を追うごとに頻度を増してゆく。かつてこれほど強く「死」を身近に意識したことはなかった。
全くそんなつもりはないのに、「死にたい……」と思わず漏らしていたりする。
なぜこのような感覚に取り憑かれることになったのだろうか。気味の悪いことに、その感覚は必ずしも不快なものではなかった。
死はなにもかもをこの世に置き去りにし、すべてから解脱する至福の瞬間(とき)。それはまるで甘美な夢のように、しなやかにわたしを追い詰めてゆく。
死はすべての終わり。死はすべてからの解脱。
そしてわたしがこの絶望とも諦観ともいえる摩訶不思議な感覚からようやく解き放たれたのは、やはりある人物の死によって、であった。
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初めて死んだ人間を間近に見たのは、小学校三年の夏、今から三十年以上前のことだ。
その夏は、カラ梅雨のために利根川水系の水ガメが干上がり、東京では数十年ぶりとも言われる水不足が懸念されていた。長引く不況のためにすっかり沈滞した世相とあいまって、マスコミが飢饉だ干ばつだとひどく社会不安を煽ったため、このまま雨が降らなかったら、みんな死んでしまうのではないか、そんな漠然とした不安に、子供ながらに怯えたのを覚えている。
夏休みに入る少し前、七夕を過ぎて間もないある夜のことだった。
リリリリン!
ふだんはほとんど沈黙している居間の黒電話が唐突に鳴った。茨城の母の田舎から祖母が危篤だと知らされたのだ。まだ四十そこそこだった母が、寝間着のまま子供部屋のふすまをそっと開けて入ってきた。
それまで勉強机に向かって宿題と格闘していた兄とわたしは、ただならぬ母の様子に押し黙った。
「悠太、健次、ね、おばあちゃんが危篤なんだって。だから、明日から二、三日学校をお休みして田舎に行くのよ。明日は早起きになるから今日はもう寝なさい」
母はいつになく悲痛な面持ちで、かすれる声を搾り出すように言った。
『危篤』の意味がわからず怪訝な顔をするわたしに、兄が教えてくれた。「おばあちゃん、もうすぐ死ぬんだよ」
そしてその夜、わたしは祖母に会った。
何時頃だったろう、とても静かな夜でぐっすり眠りついていたのに、ふと暑さに寝苦しさを感じて目を覚ましたのだ。網戸から入り込んでくる夜風に身体を向けようとしたとき、蚊帳の向こうに人がいる気配を感じた。網戸と壁がつくる片隅にひっそりと座り、わたしのほうをじっと見ている。
おばあちゃんだ……。
びっくりして起きようとしたが、どういうわけか身体がぜんぜん動かせない。そのあたりに蚊取り線香があったはずなのに、おばあちゃん?机の下にでもよけたのかな。漠然とそんなことを考えていた。
並んで寝ていた兄は、静かに寝息を立てている。わたしは祖母に話しかけようとしたが、どうしても言葉にならなかった。何か言おうとするたび、のどの奥から「うう、うう」と、唸るようなうめき声が出てくるばかりだった。祖母は祖母で、いつもならにこにこ笑いかけてお小遣いでもくれるのに、その夜は何も言わず無表情のまま、ただじっとわたしのほうを見ているだけだった。
そしてわたしは、ふと、祖母の顔にどこか異様な感じを覚えたのだ。何か奇妙なすわりの悪さを。
そのことを祖母に伝えたくて、言葉が出ないのがとてももどかしかった。
いったいどのくらいの時間、祖母を見ていたことだろう。突然、一番鶏の声が聞こえて、あ、朝だ、と思ったときには、すでに祖母の姿はどこへともなく消えていた。
今になって思えば、そのときわたしは、祖母の顔に、なにか言い知れぬ違和感を感じ取っていたのだ。ふだんとは違う何かを。
もちろんそんな時間に祖母がそこにいるはずがないということは、子供とはいえ十分わかっていたし、夏になれば決まって幽霊や心霊現象についてのテレビ番組が放送されるために、そういう存在についての知識もあった。だから朝起きてから急に怖くなった。
昨晩お前に会いにきたことは決して誰にも話してはいけないよ。もし話したら、今度はおばあちゃんがけんちゃんを連れていくことになるからね。祖母にそう言われたような気がしていた。
未明に、祖母は息を引き取った。
あわただしく帰省した田舎では、翌日がお通夜、翌々日が告別式となり、母が手伝いにかり出される間、兄とわたしは、久しぶりに訪れた田舎で同年代のいとこたちと遊んだ。騒いではいけない雰囲気を子供ながらに感じ取り、静かにトランプなどに興じていた。
夜になって出張帰りの父が駆けつけた。出かけたときの背広のまま、近くの洋品店で黒いネクタイだけを買い求め、馳せ参じた格好だった。
お線香のにおい。悲しみに肩を落としている伯父。母も泣いていた。
父は、十二畳の和室に横たえられた棺の前で、静かに手を合わせながら、兄とわたしに言った。
「さ、おばあちゃんに、最後のお別れを言いなさい」
兄が泣きながら棺の中を覗いた。そして、祖母に小声でさよならを言うと、お花を入れてわたしのほうを見た。それからわたしが棺を覗き込んだ。
一瞬、ぎょっとした。白い経帷子を着せられ、三角の布を額につけられた祖母は、幽霊の姿そのものだった。あの夜自分が見たのは祖母の幽霊だったのだ、と、そのとき子供心にはっきり思った。けれども目の前で静かに眠っている祖母の顔には、あの夜に感じたような違和感を覚えることはなかった。
そして、それからしばらくの間、不可解な気持ちのしこりが、わたしのこころの隅にうずくまることになったのである。
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あれから三十年あまりの歳月が流れた。
兄もわたしもすっかり歳を重ね、それぞれに守るべき家庭を持った。わたしは大学時代に知り合った女性と所帯をもち一男一女に恵まれた。兄は、いったいどこでどうやって知り合ったのか、目をみはるほど美しい女性を娶り、可愛らしい三人の娘を持った。
子供のころ、あれほど気持ちが通じ合った仲だったのに、それぞれの家庭が生活の中心になると、お互いに行き来をすることも滅多になくなった。
わたしもそれなりに恵まれた生活を送っているが、兄は別格だ。脱サラしてから横浜で始めた輸入雑貨販売の事業が当たり、地元でも有数の実業家として知られるまでになった。
鎌倉の兄の豪邸を訪れたのは、正月以来のことだ。そしてすでにあたりでは蝉の声が充満する季節になっている。春に一度、電話で話したときは、事業があまりうまく行っていないことを嘆いていたが、元気そうな様子を見ると、なんとか立ち直っているのだろう。
西向きの和室に置かれた仏壇に手を合わせ、わたしは静かに頭を垂れた。仏壇には、まだ新しい二つの位牌が並べ置かれていた。
一昨年癌で亡くなった父の後を追うようにして、母がこの夏、逝ったのだ。
享年七十六。
「母さんは、幸せだったのかな」
わたしは兄のほうに向き直って話しかけた。
「幸せだったさ、俺たちみたいなできた息子たち、そして可愛い孫たちに囲まれた余生を送ることができたんだ」
そういって、遠くを見るような目で兄は笑った。
「まあ、そうだね。少なくとも心配や気苦労をかけるようなことはなかったよね」
リビングでは久しぶりに妻たちがすっかり大きくなった子供たちの話に花を咲かせている。どちらも相手の子供が賢く健やかに成長しているさまを表面では持ち上げながら、どこかで自分の子供を誇らしく思う気持ちを隠しきれないでいる。ちょっと話題に入りにくいものの、ほほえましくはある。
わたしはそれほど意識していなかったのだが、妻たちは、どうもお互いの家庭をライバル視していたようだ。妻はなにかにつけ、【鎌倉のお兄さんの家では】というのを枕詞にしていた。どうやら兄の家も似たり寄ったりのようで、いつか辟易した様子で瑠璃子さんの愚痴をこぼしていた。
ただ、兄の事業が軌道に乗ってからは、そういう雰囲気がまったくなくなった。わたしのところとは比べ物にならないくらい贅沢な暮らし向きのようで、むしろそのくらい差が開いてしまうと、お互いのことが気にならなくなるらしい。妻は、生活レベルを競うことはとうにあきらめてしまい、枕詞を口にすることもほとんどなくなった。兄嫁の瑠璃子さんは、以前にも増して強烈な存在感を誇示しているようだけれど、母は、兄の土地に離れを構え、身の回りの世話をしてくれる介護センターの女性を茶飲み友達に、悠々自適を決め込んでいたようだ。
「母さんが残したものは、そこにある鏡台と文机だな」
そういいながら、兄は鏡台の上に置いてあった古びたアルバムをわたしに手渡した。
「文机の中に入っていたよ。お前にも、見覚えがあるだろう」
母がずっと大切にとっておいたアルバムだ。どれくらい久しぶりに見るのだろう。とても懐かしい。
アルバムには、父と母の青春時代を髣髴とさせるものから、わたしたちが小学校に入学するころまでの古いモノクロ写真が丁寧に貼りつけてあった。それから後の写真は、自宅のどこかにあるはずだ。わたしたちが独立する際に、母がそれぞれのアルバムを作って持たせたのだ。
父母にとって、思い出の中のわたしたちは、いつまでたっても未就学児童のままなのだろう。子供を持った今、そんな両親の気持ちがよく理解できる。
今と違って、デジタルカメラなど影も形もない時代のことだ。
何枚かページをめくりながら、ふと、若いころの祖母の写真に目を留めた。若いといっても還暦は過ぎているだろう。茨城で農家を営んでいた祖母は、祖父を早くになくしたにもかかわらず、たいへん逞しく気丈な女性だった。
あぜの草取りでもしていたのか、鎌を持ちながら、顔をしわだらけにしてカメラに笑いかけている。前後の写真のつながりを見ると、カメラマンはおそらく若かりし頃の父だろう。
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そして。
ずっと記憶の奥底に埋もれてしまっていたことを不意に思い出した。そうだ。祖母の額には十円玉大の大きなほくろがあったではないか。向かって左の額の髪の生え際あたりにくっきりと大きなほくろが。そういえば祖母ほど大きなものではないが、兄も似たような位置にほくろがあり、子供のころ、ゆうちゃんのほくろはおばあちゃん譲りだねと、親戚によく言われていたではないか。
三十年前のあの夜の記憶が徐々に蘇ってきた。それはまるで、古びた映写機が8ミリフィルムの映像を映し出すように、記憶のスクリーンにゆっくりと投影された。
そして突然、雷に撃たれたようなショックが全身を走り抜けた。
思い出した……。
あの夜の祖母は、ほくろが右の額にあった。
そのことを祖母に伝えたくて何度も話しかけようとしたのだが、どうしても声が出せなかったのだ。
もしかしたら記憶違いではないか、なんども思い返したが、その古びた記憶のフィルムに焼きついた映像を拭い去ることができない。
祖母のほくろは、確かに右の額にあった。思い出そうとすればするほど、その映像がますます鮮明に蘇ってくる。
なぜ?
祖母の写真を見つめながら、その不可解な気持ちはいっそう募るばかりだった。
しばらく思い悩んだあげく、わたしは、ふと、あることを思いついた。
学生時代から腐れ縁を続けているある男のことを思い出したのだ。
「な、兄さん、このおばあちゃんの写真、ちょっと借りていっていいかな?」
兄は怪訝な顔をした。
「構わないが、おふくろじゃなくておばあちゃんの写真を持っていくのか?変わったやつだな」
「ちょっと気になることがあるんだ」
「まあ、アルバムごと持っていけばいい。俺は、もう思い出にするには十分なくらい、しっかり何度も見返したからな」
「ありがとう、じゃ、そうさせてもらう」
そのときの兄の物言いがちょっとばかり気になったが、遠慮することはないだろうと思った。兄とわたしは、子供のころから不思議なくらいお互いの気持ちが通じ合っていたからだ。
わたしはそれなりに知られた某私立大学の医学部を出、その後も大学病院の医師としてその大学に勤めているのだが、同じ学部の卒業生なのに、医師にならずに興信所の探偵を稼業にしている変わった男がいた。篠原亮。それがその男の名だ。
学生のころから超自然現象に凝り、教授の不興を買うことも平気で、大学の設備を勝手に使い、様々な実験を繰り返していた。もちろん表向きは彼の専門だった脳医学の論文を書くため、ということにしていたが、わたしが聞いた話だけでもずいぶん怪しげなことを研究していた節がある。
テレパシー、催眠術、降霊術、透視、念写、心霊現象などなど。普通の科学者であれば、オカルトの範疇として眉をひそめるようなことを、彼はいたって真面目に研究していた。そしてついに、ひとのこころを量る術を体得したとかで、それをきっと社会に役立てようと興信所を開くのだと言い出した。なぜそれが社会の役に立つのか、最初に聞いたときは首を傾げたが、彼によれば、肉親の行方不明や、配偶者の不倫で悩み苦しんでいるひとは、想像以上に多いのだそうだ。ひとのこころを知ることによって、どこで何をしているのか、何を悩み、どうすれば解決できるのかをアドバイスできるという。
まあ、先祖の霊や、死んだ肉親の霊のお言葉などと称して、それをうやうやしく伝える怪しげな自称霊能者たちと、やっていることはあまりかわらないように思う。
家庭の問題を解決することが社会の問題の解決につながる。もし神がいるとすれば、これが俺に与え給うた天職なのだ。彼は常々そう意気込んでいた。誇大妄想なのか、現実逃避なのか。ただ、商売として成り立っているところを見ると、客はそれなりにいるのだろう。
けれども、わたしたちは学部のころからどういうわけか馬が合い、彼の怪しげな説を、口角泡を飛ばしながらずいぶん真面目に議論したものだ。もちろんわたしはバーボンのオンザロックを片手にではあったが。
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「ずいぶん久しぶりだな、どうした?何か事件でも起こったか?それともかみさん、浮気でもしちまったか?」
電話の向こうの声は、妙に明るかった。
「まさか、あいつが浮気なんかするかよ」
「ああ、これは失礼。浮気をしたのはお前のほうか!」
「バカ野郎。自分が浮気をしたら興信所に連絡などするものか!」
「なら何の用だ?やはり事件か?」
篠原という男は、いつもこんな調子だ。陽気で頭の回転が早いのだが、話がかみ合わない。常人とはどこか発想が違うのだろう。
(つづく)