カフェカルチャーとtattooのハナシ
結論から言うと、
俺にとってtattooとはファッションだ。
tattooを初めて彫ったのは確か25歳の時、
いわゆる社会人デビューだった。
俺は海外のtattooカルチャー、特にアメリカ西海岸と、渋谷SUSの仲間達から強い影響を受けている。
高校時代からスケートビデオやミュージックビデオを見てtattooに憧れていた俺は、いつかtattooを彫りたいとずっと思っていた。
だが大枚叩いてtattooショップに行く程の強い気持ちでも無かった。
時は過ぎて2003年、俺は吉祥寺に作る新店舗の立ち上げメンバーに、しかもキッチン社員で参加する事になった。
そしてそのカフェで生涯の心友、ヨースケと一緒に働く事になる。
ヨースケは福島から東京に来ていて、渋谷SUSに流れ着いた奴だった。
初対面の時にリーフのネックレスをしているのを見て、面白そうな奴だなとは思っていた。
今じゃすっかり20年以上も家族の様に付き合っているマイメン、心の友と書いてシンユウだ。
話が逸れたがヨースケの地元のクルーに彫師がいて、ソイツが俺の人生初の彫師となった。
しかもタダで彫ってくれたんだ。
八幡山のヨースケの家で、コットンマウスキングスのロゴを肩に入れたのが最初のtattooだったと思う。
まぁ、そんな感じで俺のtattooライフは始まった。
新宿三越時代には、彫師のツヨシがスタッフにいた。
ツヨシのストロングスタイルはモロに俺好みで絵も超上手かったから、店長権限でドンドンtattooを増やしていった。
俺がtattooで身体に刻むのは、
歳をとっても自分で納得出来る言葉やモノ。
ファッションとは言っているが、
軽いノリならやらない方が絶対にいい。
だが本気なら絶対にやった方がいい。
さて、本題のカフェカルチャーとtattooのハナシだ。
なぜカフェ行くのかって聞かれたら、
お気に入りのカフェにいる時間が好きだからだと、俺は答える。
なんでカフェで働くのかって聞かれたら、
カッコ良く仕事したいからだと、俺は答える。
どちらも俺にとっては一種のファッション、
自分のスタイルと言っても良い。
tattooも同じ。
ファッションでありスタイルだ。
誰に何と言われ様と、俺はtattooがカッコ良いと思ってるいるし、何なら未だにもっと増やそうとすらしている。
そしてカフェで働くのがカッコ良いと思っているし、ずっと働いていたいと思っている。
要はtattooを入れていカフェで働いてる、
そういう自分が好きなんだ。
好きな事を仕事に出来てラッキーだと言われるが、それは俺が強い気持ちで続けてきたからこそ辿り着いた、自分らしい一生モノのスタイルだからだ。
tattooに対しての窮屈な空気は、日本にはまだまだ当たり前にある。
歴史と現実を考えれば当然だ。
そして、実態経済がちゃんと回らなければカフェは存続すら出来ない。
そういう側面で、tattooは一般的には不利だと思われるのかも知れない。
まだまだ多様性が受け入れられにくい。
それが現実的な日本の状況だ。
でもそんな閉塞感を打ち破ってきたのは、
いつの時代も個のパワー、positive vibes、
そしてSmileだ。
ファッションとはスタイルである。
つまりは主張だ。
それは誰かに受け入れられる事を前提としていない、自分だけの生き方、生き様、ライフスタイルだ。
そして、そういう生き方を選んだスタッフやお客さんが輝ける場所。
それがカフェの本来の在るべ姿だと俺はずっと考えている。
革命はカフェから起こる。
オスマントルコの時代から歴史がそれを証明している。
多様性の時代となった今、社会的そして経済的インフラとして、令和には真のカフェこそがもっと必要だ。
スタイルがコミュニティを作る。
それこそがカフェカルチャーとtattooを結ぶ
答えだ。
そして、その真ん中にある1杯のコーヒーは、日本人にとって本質的でリアル、つまりホンモノでなければならないと考えている。
それがアラフィフコーヒーマンとしての、
俺のホスピタリティだ。