「和」の国
日本が日本であるために
パナソニックの創業者である松下幸之助は、かつて経営の神様として昭和の高度経済成長期に君臨した時代があり、その言葉は長らく普遍性と説得力を持っていた。
そのなかに
日本は「和」の国
和の心を忘れれば(会社は)倒産する
というものがある。
日本人の独断専行性を嫌う国民性を財界人的に表したものともいえるが、この協調性を大切にする国民性はいつごろからあるのだろう。
有名な聖徳太子の17条の憲法に書かれた
和をもって尊しとなす
というフレーズを思い出す方が多いと思うが、先日私が好きな歴史作家の
井沢元彦氏
が書いた
歴史から読み解く日本人論
という本を読んで驚いたことがある。
氏いわく、17条憲法の「和をもって尊しとなす」という条文は、実は聖徳太子が考えたものではなく、その頃までに古代社会から積み重ねられてきた知恵のひとつにすぎないというのだ。
17条憲法が制定された604年(7世紀初頭)の頃、すでに日本人は「和」の精神を持っていたということだ。
ではそれはいつ頃から始まったものなのかというと、それは「古事記」にある「国譲りの神話」にまで遡るということらしい。
すなわち、天皇家の祖神である天照大神(あまてらすおおみかみ)は、その孫にあたる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に日本を与えたいために、先住民族ともいえる出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)に使者を送り
国を譲りなさい
と交渉、つまり話し合いをしたのが起源となる。
そして最終的には、大国主命は国譲りの代わりに、最も大きな社(出雲大社)に自身を祀らせることで合意したというくだりになる。
すなわち、日本人は有史以前の神代より「和」の精神がDNAとして刷り込まれてきたことになる。
渡来文化である仏教や儒教よりももっと根源的なものなのだ。
このことを念頭に日本の歴史を紐とけば、聖徳太子の時代はもとより、日本の歴史上最も長期政権となった江戸幕府の老中制度も実質的に合議制による意思決定機関であったし、明治時代の五か条の御誓文でもその第1条で
広く会議を起こし
万機公論に決すべし
と、17条憲法同様に話し合いによる意思決定を定めている。
安定していた時代は、いつもこの話し合いによる政治が実を結び、逆に戦国の世のように不安定な時代は、あまたのリーダーが天下を取ろうとして跳梁跋扈した時代と言える。
例えは悪いかもしれないが、今でも「談合」などと称して、建設業界が裏で公共事業の受注を調整するのもその名残ではないだろうか。
なんのことはない。
日本では、いいことも悪いことも含めて、すべて「和」の精神が根底にある話し合い絶対主義が存在していたということだ。
ある意味欧米よりも民主主義的観念は先行していたことになる。
ところが、先の大戦後日本を一時的に支配した欧米諸国は、その戦争で見せた日本人の精神力の強さの根源を研究した。
その時、彼らは日本にはドイツのヒトラーのような独裁的指導者がいなかったことと、なんでも話し合いで決める社会であることを知った。
また、日本人の心のよりどころであった神道が、実は日本の神話からきているとみた彼らが行ったことは、日本人の価値観を根絶するために終戦後学校教育の現場で神話を教えることを禁止することだった。
独裁的指導者がおらず、話し合いで決める協調性重視の社会であるにも関わらず、日本人が一致団結した時の強さに心底恐れを抱いたためだろう。
こうして、日本人は自分たちのルーツである神話を学ぶ機会を奪われながら、その後独立してからも何らそれを回復することなく今に至っている。
すでに戦後から70有余年経っており、グローバル社会と言われるようになって久しい今、そろそろ日本も欧米と同じように、学校教育の現場で神話を教えることによって、子供達に日本人としてのアイデンティティを形成する機会を与えてもいいのではないだろうか。
そうすることによって、実は日本人はいつの時代も「和」の民族であり、協調性を重んじてきた民族であるということが自然と理解できて、戦後の贖罪意識一色の罪悪感から解放されるかもしれない。
ただ、唯一心配なのは、欧米から指摘されているとおり
我が国には真のリーダーが存在しない
ということである。
これは、日本が欧米型の狩猟文化圏ではなく、稲作を中心とした農耕文化圏であったことが大きいが、有事つまり一旦火急の事案が発生した場合などは、優れたリーダーが指導力を発揮するということも人類の歴史上あまた散見される。
ところが織田信長の最後を見れば分かるとおり、日本では独裁的リーダーというものは好まれず不運の死を遂げているように、どうも独善的な人間というものは、日本人の体質には合わないようである。
これは神代の頃から長い時間をかけて刷り込まれてきた「和」の精神がいかなる時代になっても日本人のDNAとなっているからだろう。
そして絶対的リーダーが不在な状態でも、日本という国がここまで大きく成長してきたことは、人類にとって「和」の精神、つまり他者との共存共栄の精神が大切であるという証拠であるようにも思う。
今世界を見渡せば、ウクライナに対するロシアの軍事進攻、イスラエルとパレスチナとの紛争、懸念されている中国の台湾に対する軍事侵攻など、きな臭い情勢は拡大していっている。
他者との共存共栄よりも自国の権益を拡大するために、相も変わらず軍事的覇権主義に舵を切ろうとしているのだ。
だからこそ、今こそ世界は日本の歴史から学ぶべき時だ。
なぜ日本が世界にも類を見ない長い歴史を持つ国として存在するのか。
なぜここまで繁栄するに至ったか。
なぜ領土的拡張主義をとらずとも一国のみで成長できてこれたのか。
そこには、10年20年、いや100年先程度の期間ではわからない長期的展望にたった国家観が日本に内在することを知った時、世界は日本を人類の救世主と仰ぐだろう。
なにせ
大和は国のまほろば
(すばらしいところ)・・・
とまで詠まれ、そこに暮らす人々は和服・和食の文化を育んできたほど、全てにおいて「和」の精神をことのほか大切にしてきたのである。
今は和洋折衷の時代となってしまったが、日本人であればやはり根源となっている「和」の精神を大切にしていきたい。
ただ先の大戦時に立ち上がった先人たちのように、降りかかった火の粉があればそれを振り払い、毅然と立ち上がる精神と力だけは蓄えておかねばならない。
そうしないと人類の知恵ともいえる大切な「和」の文化が地球上からなくなってしまい、再び世界は弱肉強食の時代に後戻りするかもしれない。
昨日は12月8日だった。
78年前のその日未明、なぜ「和」を大切にする優しい民族でありながらも、乾坤一擲の勝負に出らざるをえなかったのか。
そこまで日本人を追い詰めたのは誰だったのか。
日本人であればいつになっても語り継がなければならない、そして考えなければならない大和の国の大切な歴史である。
そしてその先にあるのが今を生きる我々であり、そこは今でも「和」の国である。
記憶せよ 十二月八日
この日 世界の歴史あらたまる
アングロサクソンの主権
この日東亜の陸と海に否定さる
否定するものは我らジャパン
眇(びょう)たる東海の国にして
また神の国たる日本なり
そを治(しろ)しめたまふ
明津御神(あきつみかみ)
世界の富を壟断(ろうだん)するもの
強豪米英一族の力
われらの国に於いて否定さる
われらの否定は義による
東亜を東亜にかへせといふのみ
彼らの搾取に隣邦(アジア諸国のこと)
ことごとく痩せたり
我らまさに其の爪牙(そうが)を
摧(くだ)かんとす
われら自ら力を養ひて
ひとたび起つ
老若男女みな兵なり
大敵非をさとるに至るまで
我らは戦う
世界の歴史を両断する
十二月八日を記憶せよ
(昭和16年12月8日 高村光太郎)
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