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進化心理学のすすめ③(比較に執着する心)

比較に執着する心

「フェイスブックが多くの人間を魅了し続けているのは、社会的比較に取りつかれた人間の執着心をあおっているからだ。私たちはたいてい、他人に対して自分をできるだけよく見せようとするものの、ほかの人が完璧な人生を送っている姿を受動的に見ることが幸福感や精神衛生に悪い影響が及ぶという考えは、今ではまずまず定着している。とりわけ、自分自身の人生が他人と比較してあまりうまくいっていない場合にはそうだ。」(「協力の生命全史」ニコラ・ライハニ著 より)

我々の心は社会生活の中で、自分と他人、他人と他人を比較しがちだ。これは誰かに教わったわけではなく、生まれもった心の仕組みだ。学校生活が始まり、同年代の子供と生活するようになると、クラスメートの容姿、運動能力、学力などを無意識に、時として意識して比較するようになる。これは人を悩ます「悪癖」だ。これによって苦手な人を作ったり、友人との関係を悪化させたり、自分はダメだと落ち込む原因になる。

さらに学年が上がると表だった競争が比較に拍車をかける。運動会のリレー選手選び、部活でのレギュラー争い、学力テスト、受験など比較の材料は日常のあちこちに現れる。自分が身近な人より劣っていると感じると気分が悪くなるし、心無い親からの言葉(兄弟や他人との比較による嫌味)は心に突き刺さる。

他人との比較は生まれ持った心の仕組み

他人との比較は人間が後天的に身につけたものではない。その証拠に幼児は遊びの場面で「○○ちゃんは私より上手」や「負けるから一緒に遊びたくない」といった言葉を使うことが知られている。幼児が勝ちにこだわることや負けを恐れるのは本能がそうさせるからだ。幼児期は自己の形成が始まる時期であり、この頃から他者との比較によって自己評価を行うようになると考えられている。集団の一員として生存していくためにはしっかりとした自己認識が前提となるが、自己認識を高めるためには他人との比較は不可欠なのだ。

無意識に他人と比較する心の仕組みが生まれ持ったものであることを説明する学説として、古くはレオン・フェスティンガーの「社会的比較理論」がある。この理論では、人間は自己評価を行うために、生まれながらに他者と比較する基本的な衝動を持っているとしている。つまり、個人が自分の立ち位置や能力を把握するための手段として、他者との比較が役立つという考えである。

比較は生存と繁殖のための適応の結果

なぜ、人間には無意識に他人と比較する心の仕組みが存在するのか。それは集団生活においては他者を意識せざるをえない状況にあるためであるが、進化心理学の観点からは以下の3点が挙げられる。

①社会的地位の評価
人間は他者との比較を通じて、自分の社会的地位を評価し、それに基づいて行動を調整する能力を進化させた。これにより、集団内での競争や協力のバランスを保つことができ、生存や繁殖の成功に寄与した。

②資源の分配
他者との比較は、資源の分配においても重要である。自分がどれだけの資源を持っているか、他者と比較することで、資源を効率的に利用し、必要に応じて競争や協力を選択することができた。

③協力と競争のバランス
進化の過程で、協力と競争のバランスを取ることも重要であった。他者との比較は、協力が必要な場面と競争が必要な場面を見極めるための手段として機能した。

集団内で生き残るためには他の構成員の見極めが大切であり、一方では自分の社会的地位の評価は非常に重要となる。そのための最も効果的な手段が「比較」なのだ。ただしその結果、我々はいやおうなく日常的にこのセンサーを働かせてしまっているのである。

自己評価を下げることの危険性

比較による自己評価は幸福感に大きな影響をあたえる。一般的に、上方比較(自分より優れていると感じる他者との比較)は、自己評価を下げ、ストレスや不安を増加させる。一方で、下方比較(自分より劣っていると感じる他者との比較)は、一時的に安心感をもたらすと言われている。

シャーデンフロイデと呼ばれる他人の不幸を喜ぶ感情は、下方比較の一種と言える。他人の不幸が心理的に自己評価を高める(自分はそうならなくてよかったという)ことに繋がり、後ろめたい幸福感をもたらす。無意識に他人の不幸なニュースを見てしまうのはこの本能のためだろう。

一方で自分の評価の低下は、狩猟採集時代であれば集団内にとどまることができなくなるリスクを意味する。狩猟採集時代の集団はフリーライダーを許さない厳しいものだ。集団からの脱落は死を意味した。そのため自己評価の低下にともなう自信の喪失は、他人の評判を過度に恐れる心理を生み出す。結果として他人に会うのが怖くなり、仕事の自信がなくなり、パフォーマンスにも影響するとともにストレスや不安が増大するのである。長期的に続くと精神的な問題を引き起こす可能性もある。ましてやいじめや仲間はずれなどではっきりと集団内での評価を下げられると心理的負担は相当なものだ。

暴走させないために

他人と比較するのはやめようと言うのは簡単だが、実践は難しい。なぜなら他人との比較は生まれ持った心の仕組みだからだ。それは集団内で生きていくには必要な機能だからだ。意識して止め続けるのは難しい。多分無理だ。

では、他人との比較によって引き起こされる不安、自信の喪失、不愉快な感情をどうすればよいのか。対応策としては主に次のようなものが考えられる。

①自分の心にはそのような仕組みがあることを認識する
②自分の中に比較思考が生じたら、それに気づくように心がける
③自分の比較思考を俯瞰的に観察し、冷静に評価する
③きかっけを減らす(SNSを無意識に何度もチェックしないなど)

比較というのは相対的なものだ。地位もお金もなくても健康な心の状態を保ち、日々幸せを感じている人はいる。今日的な社会では他人からの評価は生死には直結しない。自分の心の機能が自分を追い込んでいくのだ。このやっかいな心の仕組みと向き合って、相対的なもの(比較)に重きをおかない心がけが大事だ。


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