『自分』の人生に責任を取る覚悟
与えられた条件は平等でない。
そう思います。
私は比較的裕福な家庭に生まれました。
大金持ち!というわけではないですが、両親は割とお金使ってしまうタイプでした。貯金するよりも笑
だから家もよく変わりましたし、家もそこそこ大きく、一人部屋を与えてもらいました。
教育に関するお金もたくさんもらい、勉強しました。
まぁそれゆえ、今どうですか、ご実家は、というと。
そんなにお金持ちじゃない、という笑
貯金も大事ですね!
話それました。
そうした手厚い対応をしてもらっておいて、私はこの程度なんだな、と感じることがあります。
これはもう才能と言えるようなものもあります。
圧倒的に賢い人、すごい人。
何人か会ったことがあります。
賢い人は、努力家でもあります。というか努力しようと思って、努力していません。自然な形で出来るんですよね。
ナチュラルに、自然体に。
こうした人は強い、です。
集中力もあるので、短い時間で成果も出せます。
凄いなーと思うこと多い。
で、私はどうか?
はっきりいって凡才でしょう。残念ながら。
凡才は凡才らしく積み上げたもので勝負するしかない。
天才がしていないこと、出来ない粘り強さを身につけるしかない。
100回勝負して99敗するかもしれませんが、1勝はできるはず。
どこか一つでも勝てるところで勝負する。
逆に言えば、勝負できることを作る。
自分が負けたくないところでは、絶対的な執着心をみせる。
そのことも大事です。
そうそう。ちょっと珍しく漫画の話、など。
私はよく漫画をみるのですが、こちらの漫画「あさひなぐ」が完結しました。
主人公の旭は凡才です。努力していてもよく負けるし、ドラゴンボールのようにスーパーサイヤ人になりません。まぁそれでもある程度勝つのはそれは漫画だから、ですけど笑
積み上げていったもので勝負する。その姿勢は感動するものがあります。
最終回の、「悲しみも喜びも持続しない。私たちは今を生きていく」(うる覚えですから間違えているかもしれません)は、痺れました。
勝利を勝ち取ったとしてもそれは一瞬のこと。また人生は続いていくどこまでも。
あらためて思うこと。
努力しているからといって夢が叶うとは限らない。
きっと私は満足することなく人生は終えることになるでしょう。
だとしても、積み上げていくことの大切さ、粘り強く取り組むこと。
それをやめてしまえば、人生においては何も残らない。
人生に対して責任を取る。
その覚悟をもって。
そして一番大事なこと、今、この瞬間を生きていく。
瞑想して173日目