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コーチング講座 第10、11、12回リフレクション
1 ふにゃーんとした合意
筆者が参加していたコーチング講座の学び方は
1予習動画視聴
2気になるところを書きぬき
3講座当日はディスカッションだけ
4事後に書くリフレクション
というスタイルです。
反転学習、経験学習、PCAGIP事例検討法、リフレクションといった、ホットな学習方略が惜しげも無く掛け合わさっています。
一回一回、とんでもない充実感で満たされるのは、このシステムのためでしょう。
そして今回の「1 予習動画視聴」は「合意の確立と維持」の話でした。
コーチングでの合意というのは、
コーチ・・・・・・コーチングの方針、業務上できること・できないこと
クライエント・・・コーチングを受ける目的、どうなりたいか
こういう両者の「目的」「ベクトル」を、丁寧に合意してから始めるのが大事だという話です。
何か契約をする時に渡される「規約書」の場面が思い出されます。一般的には、規約内容をまとめたプレゼンをきくとか、文書をみながら読み合わせ、みたいな感じでしょうか。
ただ、規約やルールって実際にやってみないと分からないことって結構あります。筆者自身「なんかよくわからないけど、やっているうちに疑問が出てくるだろう。」と思って、とりあえず理解したことにしています。
コーチングの実践場面を想定すると、
1 セッションの前に、ある程度丁寧に話し合う
2 セッションしながら、緩やかに合意をすり合わせていく。
の場面が考えられます。
特に1の場面は、クライエントにとっても「なんかよく分からないけど」という瞬間だと思います。
コーチングをある程度勉強しているクライエントさんなら話が早そうですが、両者の微妙な「コーチング観」の違いのすり合わせは必要だと思います。
現実的に合意として多くの時間が割かれるのは、多分2です。
2 セッションしながら、緩やかに合意をすり合わせていく。
ということは、むしろここにクライエントの心を持っていく作業が必要だと感じました。
それは、非常にシンプルで、クライエントの感情を揺らすようなイメージを持っています。
コーチングの内容とか方針どうこうよりも
「この人が私のコーチになる人か〜。なんかもっと喋ってみたいかも!」
とクライエントに思ってもらうことが、とりあえずの合意かもしれないと思ったのです。
だから、「1 セッションの前に、ある程度丁寧に話合う」というのは、
・規約書という形式的な意味での合意
・今後も継続したいというフィッテイング感としての合意
どちらも含んでいると考えています。
やはり後者の、「なんかもっと喋ってみたいのでよろしくお願いします」という合意を、暗黙の了解としてしっかり確保したいと思いました。
コーチング倫理規定によれば「伴走者」や「メンター」みたいなコーチが重要と言われています。
そりゃ、結局突き詰めれば「感情を揺らす」みたいな話になるよなあと、筆者の頭で腑に落ちているところです。
形式的な、つまりは合理主義のロジックは、あまりコーチングと相性が良くなさそうです。
(前回の振り返りも、キャバクラのお姉さんとお客さんの話になっちゃいました。)
↑あ、「スキ」いっぱいありがとうございました!
それで、コーチングを学んでいるうちに、技やハウツーも大事なのだろうけど、まずは合意とか信頼関係を強く固めるのが大事だよなあと思い始めました。
こういうテーマを持ち歩いているので、どうも筆者の心にヒットする話題が大体そういう話ばかりになっちゃいます。関心相関です。
だからこそ多視点で複眼的に学ぼうとした時に、参加者の皆さんのリフレクションを読むのがめっちゃ勉強になります。
次の章は、そういう関心からヒットした話です。
2 P R 「N」 D S L
講座内のグループワークで、オンライン授業の話になりました。
ある先生が「カメラ越しに学生がなかなか顔を見せてくれない」という案件を提供してくださいました。「もしかして、授業に対する温度感が、学生と私でギャップがあるのかも。」と分析されていました。
その先生「私も学生も自己開示してないのに、確かに授業にノってくるわけないよなあ。」と思ったそうで。
「学生が消極的なのがダメ」と単純に決めつけなかったそうなのです。自分にも何か改善できるところがあるのでは、と模索したそうです。
そして、テンションを学生に合わせてみたところ、オンライン授業がうまく回り出した、というのです。
このエピソードを受けて、筆者はその先生に『テンションを0〜10で表すとどんな熱量の差になりそうですか?』と聞いてみました。
すると、熱量を学生に寄せる「前」(つまり工夫する前)は、
先生・・・・7.5
学生・・・・2
とテンションの開きがあったそうです。
先生は、その後、テンションをなんと「5」に持ってきたそうです。
『へ〜!学生のテンションと同じくらいの2とか3にはしなかったんですね』と筆者。
その先生によれば、7.5にも2も移行できる(車で言えば)ニュートラル状態に持っていったそうです。
![](https://assets.st-note.com/img/1640070877209-8aaUCYBdpE.jpg?width=1200)
質問によってこの意図を聞き出せた時、かなりゾクっときました。
「すべて合わせる」ではなく、「どっちにも寄れるポジション」にしたというのが、かっこいいなあと。
まるで武術(←次章への伏線)です。
さらに、その先生は続けて「そう言えば、自分のテンションを5に持ってきたことで、テンションが4とか5の学生もいるってことに気づいたんだよね。」と言います。
ニュートラルポジションにしたことで、今まで見えていなかった現象が見えるようになったそうです。
そして、別の参加者さんが『はじめに7.5で授業していたのは、もともとの先生の雰囲気なのか?それとも演技してのものか?』という、なんとも鋭い質問をします。
その質問に対して、「よく考えたら、私もそんなにテンションは高くなくて、ありのままなら5くらいかな」と言います。
授業用の「演技状態の自分」を作り出していたというのです。
続けて「授業って楽しくなければならないと思っていた、って気づいたんですよね。」と、授業への固定観念の発見も語ってくれました。
この一連のエピソードから、たくさんの気づきが得られました。
●学習者(クライエント)にテンションを合わせようとする潔さ
●学習者(クライエント)に全て引っ張られるわけではない「ニュートラル状態」の柔軟性
●見えなかった現象(見ようとしなかった?)への気づき
●自分の思考のクセ、授業観への気づき
特に、筆者が魅力的に感じているのが「ニュートラル状態」です。この「やや上機嫌やや冷静」で、どっちの自分に移行することができる状態ってとても素敵だと思いました。
これが、1章の、クライエントとの合意「2 セッションしながら、緩やかに合意をすり合わせていく。」場面でかなり有効に働きそうだと思っています。
合意の段階では、クライエントの目的を聴きつつ、コーチとしてのポリシーを提案することになります。
おそらく、クライエントの目的側にも、自分のポリシー側、どちらに傾いてもしんどいです。
「クライエントに寄り添いたい、のか、自分のコーチング観を大事にしたい、のか。」
きっと軸がないとブレると思っています。
そして軸というのがポジショニングと考えています。「どっちにも傾けることができるポジショニング」、つまりはマインドセットが重要になると踏んでいます。
「それじゃあそのニュートラル状態ってのはどうやったら発動し続けられるか」って話です。
これを次の章で考えてみたいと思います。
3 方条理論「可能性への冒涜」
時系列が逆なのですが、予習動画の中に「クライエントの行動を脱力して捉える。」という話が出てきたように思います。
クライエントにとって適切な質問を、常にするのは難しい。色々な角度の質問を「たくさん」ぶつけるっていうスタンスで良い。もし、クライエントが変な反応をしたら「あ〜ごめんごめん、今の質問が悪かったね〜」と誤魔化すくらいでちょうどいい。ということだそうです。
最近エッセンシャルマネジメントスクール(以下EMS)、というオンラインの大学院みたいなところに通っています。
そこで衝撃的だったのが、方条遼雨(りょうう)さんの武術論です。一見別々の身体技法や振る舞いが、方条さん流の「心身一元論」として体系化されています。
その中で、特にコーチングに適用できると考えているのは「脱力」です。方条さんはEMSの講義で言います。
「信じる」というのは一見美しい言葉のようだけど、それは私たちが人生の中で作り上げたイメージなんだ。
信じるとは、「可能性への冒涜」である。
衝撃でした。
信じるとは、「思った通りにならない未来」という可能性を捨てている。
というのです。
もっと具体的に言えば、「あなたを信じる」「未来を信じる」というのは思考をサボっているというのです。
筆者は今まで「信じる」を綺麗な言葉だと思っていました。
「信じる」ー「美しい」という、全く違う現象と感情を「抱き合わせて」いたようです。
実は筆者、今も昔も音楽を嗜んでおります。
かつてステージやコンサートで「未来を信じて〜」「自分を信じて〜」なんて、ありきたりな歌詞を熱唱していた青春時代があるわけです。
何を叫んでいたんだろうボクちゃん。
言われてみれば、「信じる」って肩に力が入ります。筆者も色々な瞬間で肩に力を入れて過ごしてきました。
一番力が入ったのは3.11東日本大震災の時でしょうか。当時実家の二階の部屋でテレビゲームをしていました。私がいた1mほどの円以外にはすべて家具やら何やらで埋め尽くされました。なぜ私のいたところだけが何事もなかったのか不思議なくらいです。
また、廊下にある本棚が、廊下の空間をすべて塞ぎました。1時間ほど、部屋から出られなくなりました。おばあちゃんがケガしながら出してくれました。
そして3月11日以降、約1ヶ月くらい、心身に相当な力が入っていました。怖くて怖くて仕方なかったようです。
しかし、イマはどうでしょうか。
震度4くらいの地震が起こっても「このくらいなら大丈夫。あの時に比べたら」と慣れてしまっている自分がいます。
いわゆる「正常性バイアス」です。
いつもいつも全身で「明日が信じられない」という構えをしていると、心身が疲れてきます。
10年前のように1ヶ月くらいしか続かないです。
脳の機能によって、私たちは無意識に「明日を信じている」と実感しています。良くも悪くも信じている、つまりは思考停止の「信じる」です。これに気づきたいです。
昨日も、今日も、地震が起こらなかった。明日も大丈夫だろう。
自分がいつの間にか「可能性の冒涜」に陥っていることに気づきました。
ではどうすればいいのか。
「信じる」と「信じない」を同居させよ。
と方条さんはいいます。
「信じない」・・・備蓄品や避難経路、発災時の所作
「信じる」・・・・適切な動作ができる自分
こう整理すると矛盾が晴れますでしょうか。「地震が来そうな明日を怯えて、構える」とは全く違います。いかなるトラブルがきても、省エネ動作で淡々と対処するだけ。
ちなみに、この脱力を体得されている方条さんご本人は、緊張するはずの講義や講演の際も、脳は絶えず寝ているようなぼーっとした状態だそうです。
講演で成功する可能性・失敗する可能性どちらの状況が来ても、ただ淡々と口を動かす。ただそれだけなのだそうです。信じていて、信じていない。
これ筆者結構憧れています。
ということで、この「脱力理論」というのは、コーチングの準備段階(合意、信頼関係)のためのマインド醸成に、いい感じに効きそうです。
つまりは、
「コーチングの目的:クライエントが望ましい状態になるのをサポートする」その準備(ニュートラル状態など)はしている。
準備はしているけれども、そうならない可能性だってあるし、望ましい状態になる可能性だってある。
どっちになろうと、自分にできることを淡々とやるだけ。
この脱力感を大事にしたいです。
大事にしたいというか、実は今、毎日練習しています。
今後、生活と仕事で使えるようになりたいからです。