人生はいつ終わるかわからない。という当たり前な話。
2022年、僕は今31歳。今年で32歳になる。
2つ下に妹がいて、4つ下に弟がいた。
小さな頃からやんちゃな僕、いつもニコニコしてる可愛い妹・弟達。
中学生の頃は、僕が反抗期で、ツンケンしてたこともあって、妹・弟達は「あの頃のお兄ちゃんは、ちょっと怖かった」なんて言っていた。
基本的にはきょうだい仲が良くて、常に一緒にご飯食べたり、好きな音楽の話をしたり、ゲームをしたりしていた。
こんな時間がずっと続くと思っていた。
2019年のはじめ頃、大切な弟が病気になった。
”膠芽腫”というとっても難しい病気だ。
脳腫瘍の一種で、とっても難しい病気だ。
なぜこのような病気になるのか、原因も未だにわかっていない。
弟の病気が発症したときは、25歳。まだまだこれからだ。
僕は家族と一緒に病名と説明を聞いた時、絶望した。
その時医師から告げられた余命は”1年”
平均余命より1年も少ない。
しかも、出来ている場所が脳幹付近で、治療が難しい。
両親の考えで、この時点で余命が弟に告げられることはなかった。
本人にも知る権利があるし、僕と妹は伝えるべきだと考えたが、両親の意見と一致しなかった。
医師から余命以外のすべての情報を聞いた弟は、涙を流すことなく、歯を食いしばり、膝においてあった手のひらが、拳に変わる。
両親の前で弱い姿は見せられなかったのかな。
弟は、僕より数百倍
いや、数千倍まじめに生きて生きた。
なにも悪いことなんてしていないのに、なぜ。と思った。
入院後、治療は続き、腫瘍摘出の手術の選択が迫られる。
脳の手術は障害が残る場合もあるらしく、弟は悩んでいた。
覚悟を決めた弟は手術を行い、腫瘍の90%は摘出できた。
手術後の沢山の管がつけられた弟を見て、何もしてあげられないことを痛感し、涙が止まらなかった。
腫瘍が90%摘出できたこともあり、半年ほどは通院を繰り返しながら治療を続けていた。
レントゲンで見る脳腫瘍も、小さくなっていて、弟も少しずつ前向きになっていた。好きなポルノグラフィティのライブを見に行ったり、一緒に映画を見に行ったり、ゲームをしたりして、毎日笑って過ごしていた。
弟は名古屋で就職し、一人暮らしをしていた。
病気が発覚してからは、地元に帰ってきていたが、治療は最先端の名古屋の病院で行っていた。実家付近には、そんな病院はないからだ。
"もしかしたら、弟は治るんじゃないか"
日々、そんなことを思うようになってきた矢先。
2020年1月 再発 治療の為入院。
1月はずっと病院にいた弟、オンラインでゲームをしたり、特に話をないのに、LINEをしたりした。名古屋にアパートを借りて、本当は、毎日お見舞いに行きたかった。
2020年2月 弟が治療を終え、実家に帰ってくる。
目が見えにくく、ふらつきがひどい。食欲減少。
自分でどんどん歩けなくなり、言葉も発することが難しくなってくる。
五十音表みたいなものや、食事やトイレなどのアイコンが書かれたボードを用意し、指をさしてもらったりしてコミュニケーションをとっていた。
自らが喋ることは難しくなっていたが、話を聞いてくれることは出来た。
食べれるものをいえば、お茶漬けぐらいだったが、3月になり食欲も回復してきて、マクドナルドが食べたいというようになった。
最初は身体によくなさそうだなと思いながら、リクエストのあったてりたまを買ってきた。
2月に入ってからの体調変化が急だったこともあり、弟の親友が東京から会いに来てくれた。
アパレル関連で働いている彼は、次の日も仕事だったが、弟の為に片道6時間かけて会いに来てくれた。入院中も沢山会いに来てくれていたみたいだ。
友人が帰る際、弟から「お兄ちゃん、友人くんと写真撮って」って言ってくれた。もちろん写真を撮った。
2020年3月 頭痛があり、緊急搬送。
夜中に頭痛をうったえ、医師と相談した上で緊急搬送。
病院では点滴治療などを行い、症状は落ち着く。
そのまま入院となり、不安もあり父が付きそう。
朝方、病院から連絡があり、駆けつけると、看護師の方が手動酸素マスクのようなものを、ずっと手で繰り返し握っている。
心電図はまだ動いている状態だ。
看護師の方が手を止めると、心電図が止まるということだ。
これは、医療従事者にしかできない行為になるそうだ。
延命措置をされるかと、このときに問われた。
本当は家族みんなずっと生きてほしかった。
皆それを願っていたし、いつか治るんじゃないかとも信じた。
約2年間闘病生活をとっても頑張った。
もうこれ以上頑張らせるわけにはいかない。という結論になった。
家族みんなで「がんばったね」と声をかけられながら、息を引き取った。
本当に無力で、この2年間何もしてあげられなかった。
闘病中に「何かしてほしいことがあったら何でも言って」と言った僕に、
「言ったてお兄ちゃんにはどうしようもできない」と言われたこともあった。
今でも後悔ばかりが残り、あの時こうしてあげられたらよかったなと言うことばかりだ。
もし記事をここまで読んでくれた人がいたなら、いつ自分が亡くなってもいいように、後悔の少ない人生をおくってほしい。
僕は今でも人生は後悔の連続だと思っていますが、
大切な人との時間は、なるべく多く過ごしたいと思っています。
友人・家族・恋人・ペット、なんでもいいんじゃないですかね。
今でも遠くどこかで暮らしているような感覚が残っている。
なんだかわからないけど、またいつか会えるような気がする。