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ラテガイ(ショートショート)

 砂浜に塩をまくと、砂浜の中から飛び出してくる貝がいる。
 その名前はマテガイという。
 時々テレビや動画サイトなんかで登場することがあり、それを見るたびに「あ、この貝、見たことある!」なんて思うことがよくあった。
 けれど、ここ最近はすっかりその熱も冷めてしまって、この貝が登場したときの感想は、「あ、なつかしいな」になってしまっている。
 そんなある日、知り合いがとある貝を持ってきた。
「ラテガイっていうんだよ」彼はそんな風に言った。
 僕は、はいはい、またあの貝ですよね、分かってます、という顔になる。けれど、その数秒後にもう一度聞き直す。
「え? ラテガイ? マテガイじゃなくて?」
 知り合いは、そう、ラテガイ。と、何やら満足そうな表情。まるでしてやったりといった顔つきだ。
「確かにお前が言った通り、これはマテガイの仲間なんだ。だから、見た目もそれに似てるんだけど……」
 まだその姿を見ていなかった僕は、彼が取り出したそれを見て、思わず驚いてしまう。
「スティックタイプのカフェラテじゃん……」
 それは、どこからどう見ても、インスタントのカフェラテだった。お湯を入れたらいい感じになる、粉末状のあれの、一包装ぶんの姿をしていた。
「これ、貝なの?」
「うん、貝だよ。実際に見てみる?」
 彼はそう言うと、僕にマグカップを取ってくるように指示し、ついでに湯も沸かしてくれ、と言った。
 まったく人使いの荒い……、と思いながらも、内心はこれから起こる何かにわくわくしている自分がいた。
「はい、持ってきた」
 マグカップと、ケトルで沸かしたお湯。これでもう準備は万端だ。さあ、これから一体何が起こるのか、僕に見せてくれ。
 そう思いながら彼の挙動を見ていると、ついに始まった。

 まずは個包装の上部分を切り取る。大抵この工程は、ハサミなど使わずともすんなりといく。
 そして、その中身をマグカップに入れる訳だが……。
 目を疑った。普段の生活の中では、こういった個包装のインスタントカフェラテのスティックからは、粉末が出てくるはずだった。
 けれど、そこから出てきたそれは粉末状などではなかった。
 ぬるり。すすす……。びたん。
 もしその時の挙動を文字に起こすとするなら、こんな感じだ。
 その包装(これが貝類なのであれば貝殻だが)の中から出てきたのは、まごうことなき貝だった。
「……貝じゃん」思わずそんな声が漏れる。そこには、期待していたものと異なる結果になっていることに対する非難も若干含まれていた。
「言ったじゃん」
「言ってたけど」
 気の抜けた問答を繰り返す。そうしているうちに、彼は、
「次行くぞ」と、もうひとつの工程を進めていく。
 次の工程とはつまり、お湯を注ぐことである。
 たとえインスタントでも、おいしいカフェラテが飲めると思っていた僕はすっかりやる気をなくしてしまう。
 けれど、それに構わず彼はマグカップにお湯を注ぐ。
 すると今度は、再び奇妙な現象に襲われる。
 おいしそうな匂いがする。甘い匂い。
 僕は思わず、凄まじい勢いで顔をあげる。目の前に現れたのは、まごうことなきカフェオレである。
「そんなことって……」ひとりごちる。
「これがこの貝のすごいところ。真水から作ったお湯に入れると、溶けてカフェラテになるんだ」
「まじか……」
 半ば放心状態のまま、マグカップに手を伸ばす。
 鼻先をくすぐる匂いは、まさにカフェラテ。その色も。
「飲んでもいい?」
「いいよ、そのために持ってきたんだし」
「マジで? ありがとう……」
 ありがとうの語尾をマグカップのふちに吸い込まれながら、一口すする。
「うまい……」
 カフェラテだ。その甘みが、じんわりと身に沁みる。なぜか謎の幸福感に包まれる。
「そんなによろこんでもらえるならよかった。もしよかったら、これ全部あげるよ」
 そう言いながら知り合いは、袋いっぱいに詰まったラテガイをこちらに差し出してくる。やった! ありがとう! と言おうとして、ふと、先ほどの記憶が蘇る。
 ぬるり。すすす……。びたん。
 腹の奥がひゅっとなる。ファーストコンタクトであのビジュアルを見てしまったのがよくなかったかもしれない。

「ごめん、いいや……」
「いやなんでだよ。急におそろしいほどテンション下げやがって」

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