見出し画像

イトスギ(ショートショート)

 彼は心の中にイトスギを植えている。
 私にはその姿が見えるのだ。これは本人も知らず、他の誰も知らない、私だけに見えている現実の世界の話だ。

 彼は、人と接する時、そのイトスギを大きく生長させる。
 少し前に図書室で調べたとき、イトスギは防風林として使われるのだと知った。
 きっと彼は、自らの心を守るために、イトスギを大きくするのだろう。自らの心を周囲の強風から守るために。
 私にもそうしたくなる気持ちは分からなくない。
 けれど、時々それが大きくなりすぎて、時々通学路の交差点にある信号を隠してしまうときがあるので、私は困っている。もちろん、世界中どこを探しても、そのイトスギに困っているのは私だけなのだけれど。
 ともかくそんな風になるものだから、男子は男子で色々あるんだな、なんてぼんやり考えたりする。

 そんなある日のこと。
 夜に、自室から窓の外を眺めていた。とても綺麗な月が夜空にう浮かんでいたためだった。
 何を考えるでもなく、ぼんやりとその真ん丸な月の姿を見ていると、何かの影が徐々に大きくなっていった。
 こんなに月が綺麗な夜にも彼は、イトスギを生長させなければいけないのか、と思った。
 イトスギはとても大きくなっていく。
 街の全てをその影で覆いつくしてしまいそうなほど大きく。
 けれどその姿も、その影も、見えているのはやっぱり私だけで、そんな事実が少し寂しい。もし他にも誰か見えている人が居れば、あのイトスギについて話し合うことができるのに。いや、それは少し不謹慎というか、失礼だろうか。
 そんなことを考えているうちにも、イトスギはさらに大きくなっていく。やがて、月のすぐ下まで伸びる。
 すると今度は、月光がイトスギに降り注ぎ、まるでオーナメントやイルミネーションのように、それを輝かせる。

 きっと彼は、心の中に強風が吹き荒れないように、懸命に生きているのだろう。
 今、目の前に見えている景色はとても綺麗なものだけれど、これが生まれるために消費された彼の心やその痛み、苦しみのことを考える。
 きっと大変なんでしょ? うん、私にはその全部を理解することは出来ないけれど、頑張れ。というか、頑張ろう。
 心の中で、彼にエールを送る。不思議とイトスギが先ほどよりも一層、輝いて見えた。

いいなと思ったら応援しよう!