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鉄筋きゅうり(ショートショート)
尋常ではない強度を誇るきゅうりがある。食用にするには少なくとも半年間は冷凍保存しておき、細胞を破壊しておく必要がある。
一般的に、最短で一メートルから四メートル程の長さに生育する。
これを冷凍するには、その長さを冷凍できる長さに切断する必要があり、高速切断機を使用するのが良い。
カットする時、火花が散ったりするが、あくまでも野菜である。
……野菜である。
ある程度の曲げ応力がかかると、ぐにゃりと曲がる。引張り.圧縮応力には強い。
間違っても、収穫後の生のものは食さないように。歯で噛み切るにはあまりにも強靭すぎる。
「なんかこのきゅうり、歯ごたえがすごいですね」
僕は、サンドイッチにかじりつきながら、モゴモゴと言う。
「そりゃ、特別なきゅうり使ってるからね」
先輩は脱サラして小さなカフェを経営している。ここでは不思議な食材を使った料理を出すことがままあり、彼の″特別なきゅうり″という単語に、僕は思わず反応してしまうのである。
「特別なきゅうり、ですか?」ボリボリとその食感を楽しみながら聞くと、これまたおかしな返答が返ってきた。
「鉄筋きゅうりっていうのを使ってるんだよ」
鉄筋、という、おおよそ野菜とは結びつかないような単語に、僕は咀嚼を止める。
動かなくなった僕の視線にニヤニヤしながら、彼は続ける。
「名前の通り、鉄筋みたいにめちゃくちゃ硬いきゅうりなんだよ」
そんなことあるわけないじゃないですか、とノリツッコミでもしようと思ったけれど、先輩の話は真剣に話しているときのそれと同じトーンだ。
喉もとまででかかった「そんなことあるわけないじゃないですか」を、ゆっくり再開した咀嚼で砕かれたきゅうりと一緒に飲み込む。ごくり、と、いつもより大きな音が喉のあたりから伝わってくる。
「これ、大変なんだよ。収穫したあと」
先輩は何事もなかったかのように言う。いちいち突っ込もうとしてもキリがなさそうだったので、聞いてみることにした。
「大変、というと?」
「カットするのがさ、大変なんだ」
何か特別な包丁でも必要なのだろうか?
「高速切断機を使わないといけないんだよ」
高速切断機? あまり聞いたことのない名前。なんとなく、何かしらを切るのに使うんだろうな、ということは分かった。
ついでだから、高速切断機の画像を検索してみる。
……おおっ、と。
想像以上にしっかりとした道具の画像が出てきた。なんと言えばいいのか、いわゆる職人さんが使うような風情を持っている……。
レコード盤くらいのサイズの刃が回転して、鉄製の部材をカットしていく。おおよそ小さなカフェには似つかわしくないヴィジュアルをしている。
仮にこれがあるとしたら、何かを作る、DIYをする時に使う工場(こうば)や、作業部屋くらいだろう。
「気をつけてないと、火花が散るんだよね」
火花が!? きゅうりなのに?
「でも、短いやつでも一メートルくらいあるから、必ずカットしないといけないんだよ」
最短でも一メートル? ばけもんみたいなきゅうりだなと思う。先輩はさらに、畳み掛けるように言う。
「昔読んだ推理小説に使われてた凶器がこれだった時は、本当に鳥肌が立ったよね。そうきたか! って」
きゅうりが凶器になるなんて、そんな恐ろしいことあるはずが。
そう思ったけれど、あり得ない話ではないのかと思った。
実際に、今咀嚼しているきゅうりも、普段食べるそれよりかなり歯ごたえがある。あり過ぎるくらいに。
「このきゅうり、今は加工してあるから大丈夫だけど、生で食べるのはオススメしないよ」
不意に先輩はそんな事を言った。
「なぜですか?」僕は聞く。
「だって、硬すぎて歯が砕けちゃう」
……ええ。そんなに硬いの……?
震えながら口の中に広がる味を確認する。
歯は砕けていないだろうか。それによって血が出ていたりしないだろうか。
ほのかに鉄のような香りがするのは、鉄筋きゅうりの風味がもともとそうなのか、あるいは自分の歯が砕け、それによって血が出ていたりするからなのだろうか。
とてもじゃないが、それを確認する勇気を僕は持ち合わせていなかった。