ドリームチャート(ショートショート)
夢の中の出来事に振り回されて、快眠できない。
それがここ最近の僕の悩みだ。
どんな夢に振り回されるのか。例えばそれは、僕自身が、そして他の誰も経験したことのないようなこと。
空を飛ぶ。水中を長時間泳ぎ続ける。(もちろんこれは酸素ボンベ無しだ)あるいは、不思議な生き物に出会う。ドラゴンや妖精が現れたりすることもしばしばだ。
これだけ聞いていれば、結構面白そうじゃん。と食いついてくる人もいるが、そううまくはいかない。
いつも、どこかのタイミングで、そのワクワクが無理やり打ち切られてしまうのだ。
空を飛んでいれば、いきなり羽が無くなって墜落したり、海の中を自由に泳いでいれば、突然、息が出来なくなる。
そんな終わり方をした夢の後は、大抵ひどい汗をかいていて、頭がずきずきと痛む。
いいかげん、そんな暮らしには飽き飽きしているのだ。
そんなわけで、僕はこの原因が寝具にあるのではと思い立ち、新しい枕や布団を買うことにした。
専門店にやってきた。枕の中に入れる、様々な材質でできているクッション材。カラフルな布団カバーに、快眠を誘う香水など、店内には睡眠に関わるあらゆるものが並んでいる。
店内の通路を歩いていると、店員さんがなにやら作業をしているようなので、そっと声をかける。
「あの、聞きたいことがあるんですが……」
どうされました? と聞かれ、事の顛末を一通り、店員さんに話す。しばらく黙って聞いていた店員さんは、ニ、三度頷いて話し出した。
「なるほど、そうですか……。では、ドリームチャートなんてどうですかね?」
「ドリームチャート?」
僕は聞き返す。店員さんの、はい、こちらです。の声についていきながら、ぼんやりと考える。
チャートって、なんだったっけ? どこかで聞いたことがあるような。
そうして数回通路を曲がって辿り着いた先には、数枚の紙があった。少し古びたような印象のある紙。もちろんただの紙だろうことは分かっているけれど、色味のイメージとしては羊皮紙に似ている。
「この紙はなんですか?」
「これがドリームチャートです。夢の中で使う海図、ですね」
その言葉を聞いて合点がいった。そうだ、チャートというのは確か、海図のことだ。
「夢には海流と同じように、流れがあるんです。それにうまく乗れる人と乗れない人がいるんです。例えば、夢を見ていて、「これは夢だな」と分かる人がいるという話、聞いたことありませんか?」
「ああ、確かに、聞いたことあります」
テレビ番組だったか、知り合いとの会話の中でだったか。聞いたことがある。
「そんなふうに話している人は、大抵うまく夢に乗れている人です。つまり──」
「夢を夢だと気づけないと、うまく乗れていない、ということですか?」
「ええ、そうなります」
つまり、僕は夢に乗るのがうまくないということなのか。なんとなくショックだ。
「けれど、そんな人も、このドリームチャートを使えば、うまく夢に乗ることができるんです。夢の中を自在に航行する心地よさを味わったらもう、これがなかった日々には戻れませんよ」
「なるほど……」ちょっと熱が入り始めた説明を聞きながら考える。
ちょっと気になるな。
「ちなみに、使い方は簡単です。毎晩、このチャートを枕の下に敷いて眠るだけです」
ちょっと原始的だな。
「ちょっと原始的だな、とか思いました?」
思った。顎をなで、笑いながら頷く。……けれど。
「これひとつ、ください」
***
「よし!」
準備は万端。枕の下にドリームチャートは敷いてある。いざ!
眠りは思っていたよりもすんなりと訪れた。しばらくの間、目の前は真っ暗。次に視界に広がったのは、どこまでも続く、綺麗な空の上の景色だった。夢の中だ。
歓喜した。いつも以上に全身の感覚が鮮明で、自在に動かすことができる。加えてこの安心感。これは、いつも感じていた、突然この身に降りかかる恐怖から逃れられることによるものだった。
どこまでも自由に飛んでいける。今なら何にだってなれる気がする。こんなに幸福を感じられることがあるだろうか。
いっそこのまま鳥にでもなって……。
そんな風に考えた瞬間。どこかからぷすん、ぷすん。という、エンジンが切れかかるような音が聞こえてきた。
え? どこから?
周囲を見渡す。それはすぐに見つかる。
自分の足から、その音は聞こえていた。足の裏辺りから、どす黒い煙がもくもくと上がっている。
ひえ、と思った瞬間には、すでに遅かった。
体は急降下し、世界の全てが、僕の落ちるのと逆方向に向かっていくのを感じながら、猛スピードで地面に近づいていく。
地面とガチ恋距離、あるいはキスでもしそうな距離まで近づいたとき。
「うわあああああああ!!」
ものすごい勢いで飛び上がる。時刻は午前三時。また駄目だったのかと思いながら、額の汗をぬぐう。ため息もついでにひとつ。
なんでまた駄目だったんだろう。確かに枕の下にはチャートを入れたはずなのに。
そんなことを思いながら、枕の方を見る。
「……ああ」声が漏れる。そういうことか。
枕はそこにあった。けれど、肝心のチャートは、足元でくしゃくしゃになっていた。
これはもう、チャートうんぬんより、まず寝相をどうにかしないとな、と強く思った。