影(ショートショート)
男は暗がりの中で、明かりになるものを探していた。
それはすぐに見つかった。すう、とあたりがオレンジ色に染め上げられ、彼は安堵と疲れの入り混じったため息をついた。
男はちょうど、自身の仕事から帰宅したばかりだった。
一日の疲れを吐き出すためのため息も、ほとんどその用をなさず、仕方がないので風呂へと向かうことにした。
秋の暮れの夜は肌寒く、流すシャワーの温度も高くなる。
少しずつ凍えた体が溶けていくような、角張った関節が丸くなっていくような感覚がした。
息を吸い込むと、湯の、水気を含んだ匂いが感じられた。疲れがぼたぼたとこぼれていく感覚がした。
風呂から上がると、男は、簡単な夕食を作った。
冷蔵庫の中の残り物や、帰宅途中に買ってきた惣菜を皿にあけ、電子レンジで温める。パソコンの電源をつけ、夜のお供に音楽を流すか、おもしろ動画でも流すか、迷いながら、食事をした。
やがて時間は過ぎていき、男は眠りにつく。目覚まし時計を設定し、布団の中に潜り込むと、その温度がじんわりと肌に馴染んでいった。
しばらくして、男は眠りにつく。
月光が窓の外から部屋にさす。カーテンすら抜けるほどの光量のそれは、男の寝室までやってきた。
けれどその光は、男以外の別のものを照らした。
一つの人影だった。男の枕元で立ち尽くす、真っ黒な影。
それは、先ほど男が洗い流してしまった疲れだった。
疲れは男のことをじっと見つめている。
疲れは、そうしながら徐々に月光によって溶けていく。四肢の末端から、基部に向けて、少しずつ消えていく。
初めはおおよそ男と同じ大きさのあった疲れは、いつのまにか心臓一つ分ほどになってすうっと溶けてしまった。
部屋には男の寝息と、ちらちらと月光に照らされた埃が舞い残っている。