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「怒る」ということ「キレる」ということ

「怒る」ということと「キレる」ということ。
両者ともいっけん同じ感情のもとに行われる動作であると感じられます。確かにそうなのですが、個人的に最近「怒る」と称してただ「八つ当たり」してるだけの人がいるな、と感じます。そこで、本ブログにおいて、「怒る」ということと「キレる」ということの定義を自分なりにしていこうと思います。その上で怒る上で大切なのは何なのかについて考えていこうと思います。また、一般的な定義とは大きく異なるかもしれませんがご了承いただけると幸いです。なんだか学術チックですがただ単に私が考えたことをつらつらと述べまくるだけなので軽い気持ちで読んでいただけたらな、と思います。

目次
1.「怒る」の意味
2. それはただ「キレる」ということではないのか
3.正しく怒るために

「怒る」の意味

「怒る」と称して対象の人を怒鳴るなんて場面日常生活ではよく見られる。それは学校であったりまたはコンビニやスーパーマーケットなどの公共空間、会社など、案外そこら中に転がっていたりします。しかし、この「怒る」という行為を本当に相手のことを思って、相手の非を正そうと行っている人はどれほど居るのでしょうか。例えばこのような状況があったとしましょう。学校である学生が友達の悪口を言ってそれが先生にバレて先生はそのことを「怒る」。これは学生が生徒に対して悪口を言ったという非に対して、正そうと行っているものだと考えることができます。では次のような状況はどうでしょう。公園でサッカーをしていた少年たちの蹴ったボールが家の植木鉢に当たってしまいその植木鉢が割れてしまった(ドラえもんみたいなシチュエーションですが...)。そこでその家主が少年たちを「怒る」。この場合で有れば、もちろん人の家のものを壊したという状況に対しての非を正そうと怒っているのだと捉えることもできますが、自分のものを勝手に壊されたことに対する怒りの感情もある程度含まれているでしょう。ではさらに違う例を見てみましょう。電車内を想像してみてください。電車内で小さな赤ちゃんを連れた母親がいるとします。その母親の連れた小さな赤ちゃんが突然泣き出してしまいました。母親は慌ててなだめようとするのですがなかなか泣き止んでくれません。そこにとある人が赤ちゃんの泣き声に苛立ち母親を「怒る」。この場合において考えられる怒りの感情は相手の非を正す、というよりも、赤ちゃんの泣き声に対するある人の苛立ちによるものだと推測されます。これらのパターンより、「怒る」ということについて私なりに3つの類型に分類してみました。それが以下のものです。

 (1)相手の非を正そうとするため「怒る」
 (2)自分のされたことに対して「怒る」
(3)苛立ちの感情から相手に「怒る」

また気を付けておきたいのは、これらの3つの類型が全く別のものかというとそうではありません。例えば、公園のサッカー少年の例で挙げたように、(1)の要素を含みつつの(2)のパターンで「怒る」ということが考えられます。

ではここで辞書の「怒る」という意味と照らし合わせて考えてみましょう。Goo辞書で「怒る」という言葉を引いてみると...

1 不満・不快なことがあって、がまんできない気持ちを表す。腹を立てる。いかる。「真っ赤になって―・る」
2 よくない言動を強くとがめる。しかる。「へまをして―・られた」

1番の定義についても私の分類した(2),(3)の類型と合致、2番の定義についても私の分類した(1)の累計と合致します。これらのことからとりあえず怒るとは、苛立ち、腹立ちから来るもの、相手の非を正すための行為であると断定できそうです。(その他weblio等も参照させていただきましたがやはり同じような意味でした。)

しかし私はこの定義の分類を通して何かモヤモヤとしたものを感じました。それは同じ「怒る」という行為においても、相手のことを思って「怒る」のか、それともただ自分の苛立ちを相手にぶつけて「怒る」のか、この両方ともをたった一つの「怒る」でまとめてしまうのはなんだか違和感を感じてしまったのです。

それはただ「キレる」ということではないのか

 この記事を執筆すべく、なんとなくネットサーフィンしてると非常に面白い記事を見つけました。フリーライターの光浦晋三氏による『キレる中高年、精神科医が指摘する哀しき理由』というものでした。記事によると、どうやらビビリな人ほどキレることが多いそうです。というのも医療法人社団榎本会榎本クリニック池袋の山下悠毅院長によると、怒りというのは二次感情であり、不安である、という反射的に沸き起こる一次感情というものによって生み出されるのだと指摘しています。この不安の蓄積を重ねていった結果、怒りというものがマグマのように吹き出てしまう、といった仕組みだそうです。これで突然キレる、と言った状況になるそうです。またこの方の記事で非常に面白いと思うポイントがもう一つあり、それはこのキレる人たちは、キレる相手を無意識に探しているのだそうです。怒っても反撃できないような自分より弱そうな人を見つけてそれでもって日常の鬱憤を込めて攻撃する、と言った構造が働いているそうです。この弱者にキレる構造は先ほどの章の「怒る」ことの私が立てた類型(3)苛立ちの感情から相手に「怒る」ことと一致してそうです。そしてまさしくこの場合の「怒る」というものは、まさしく前章で感じた私の違和感そのものでした。このことから、わたしは「怒る」ことと「キレる」ことの大きな違いは、相手のことを思っていての行動なのか、それともただ苛立ちをぶつけているだけなのかということにあるのだと考えました。

 ポイント

  怒る=「相手のためを思って、相手の非を正そう       と行うこと」
  キレる=「相手に対して自らの苛立ちをぶつけること」

正しく怒るために

 では最後に正しく怒る、ということについて考えていきます。というのもこれはすごくシンプルで、「怒る」ことを履き違えてただ自分の鬱憤を弱者に対して「キレる」ことをやめれば良いのです。それを止めるためには、鬱憤をためないよう努力することが必要です。鬱憤をためないためには色々な方法があります。一つは、山下院長によると、自分の進むべき方向性を定めることです。というのもこの方向性はほんの些細なものでもいいそうで、自分で設定したことが重要だそうです。そのことによりその方向性を目指すことに達成感を得ることができるようになり、鬱憤を溜めにくくなります。実際に自分の目標に向かっている人にとって、鬱憤を晴らす人はただの雑音程度だと思い、スルーすることができるようになるなど非常に有効な手段だと考えられます。また、日本アンガーマネジメント協会ファシリテーターの谷川由紀氏によると、怒りを点数化することが有効だと指摘しています。

1~3が“まあいいか”と流せる程度の「軽い怒り」、4~6は平静を装いつつモヤモヤした気持ちが残る「少し強い怒り」、7~9では憤りを感じる「強い怒り」、そして10になると「人生最大の怒り」です。
(https://www.yonden.co.jp/cnt_landl/1808/hitokoto_journal.html ライト&ライフ ひと・こと ジャーナルより)

怒りの感情にピークは6秒だと言われています。実際にイラッとしたら、少し立ち止まって自分の怒りの度数を上記のように点数化してみるといいでしょう。すると冷静になるとこができ、自らの怒りを客観視することができるようになり、本当に起こる必要があるのかどうか気づくことができるようになります。

これらのように「キレ」そうになったら上記のことを是非とも実践してほしいなと思います。理不尽な怒りをぶつけることによって苦しむ人がいるのも事実です。よくテレビなどでパワハラ問題などが取り上げられますが、それはテレビの中の問題ではなく、日時生活でコミュニケーションを行なっていく中で、どこにでも転がっている問題だと考えられます。どの程度キレているのかは人によって異なってきていますが、自分の怒りをぶつけることによって相手を傷つけてしまうリスクは案外誰にでもあったりするのです。そこで自らの怒りを客観視し、本当に怒るべきなるかを考えてみる、そこで相手の非を正さなければならないと、相手のことを思えるのならちゃんと怒ってあげる。このことを1人でも多く意識してもらえたら、少しでも過ごしやすい世の中になるのではないでしょうか。すごくスケールが大きくなってしまいましたが、少しでも一人一人がこのことを意識してくれることを祈って執筆をおわらせていただきます。ここまで読んでいただき大変ありがとうございました。


参考文献

光浦晋三(2017)『キレる中高年、精神科医が指摘する哀しき理由 』ASCII https://www.google.co.jp/amp/s/ascii.jp/elem/000/001/474/1474458/amp/
谷川由紀『怒りを上手にコントロール アンガーマネジメント技術を身に付けよう』「ひと・こと ジャーナル」ライト&ライフ https://www.yonden.co.jp/cnt_landl/1808/hitokoto_journal.html
goo辞書『怒る』https://dictionary.goo.ne.jp/word/怒る_%28おこる%29/
かわいいフリー素材集 いらすとや
https://www.irasutoya.com/?m=1

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