「誰か」の存在によって組織は回る
今学期、100人規模のサークルの代表を務めたことから学んだことをここに残したいと思います。
第一に、私はコロナ禍真っ只中の2020年度に大学に合格しました。当時はサークル活動に制限があり、新歓等もなかったため、サークルの入会は1回生の終わり際になってしまいました。そのため本来運営の代が変わる時期よりも遅れて私は会長を引き継ぎました。1年間の空白は大きく、サークルに入ってから抜ける人、所属はしているがあまり活動に参加しない人が多く出るようになり、それに伴って私の仕事が増えるようになりました。
それでも、私は後輩のため、サークルのためと思いその仕事を引き受けてきました。空白の期間はサークルへの帰属意識も下げてしまっていると感じていたため、どうにか学年間、男女間の交流が生まれるよう企画を行い、実行してきました。当然私自身がそうした人との交流が好きということもありましたが、こうした交流やイベントごとはみんなに歓迎されているものと考えていました。しかし、同期の反応は好ましいもののみではありませんでした。上下、男女の関わりの薄い現状に対して、「今のままでいいじゃん」と考える人が一定数いました。
こうした現状を知り、私は「誰か」がこの現状を変えなければ、このサークルはこのまま寂しいものになってしまうと感じました。「誰か」とは誰なのか。私は、私がその「誰か」になると決めました。それ以降、こうした中でも交流を求めている人たちのための企画をいくつか行い、大会へのエントリー、当日の進行、など多くの仕事をこなしてきました。見方を変えれば、私の組織マネイジメント力が足りていなかったともいえるかもしれません。
しかし、私がこの経験を通じて学び、みなさんに知ってほしいのは、当たり前のように組織が回り、楽しいイベント、大会などが問題なく進行するのは、そうした「誰か」が他の人よりも多くの仕事をこなし、他の人より大きな負担を引き受けているということです。あくまで私の考えですが、そうした役割につく人は、ある程度進んでその仕事を引き受けていると思います(私もそうです)。なので、なにか感謝のしるしが欲しいとか、そんなことを言うつもりはありません。ただ、楽しい時間の裏には「誰か」の努力が隠れていることを知っておいてほしいです。