失っても忘れない
3月
九州地方は春の訪れを感じるほど暖かくなる。月末には桜も咲くだろう。卒業や入学のシーズン。気持ちも何だか高揚する。
一方、北海道はまだ雪が残り、気温も低い。九州で育った僕には「春」を感じることはできない。住んでいた頃はその違いになかなか慣れなかった。北海道は5月ごろ、桜が咲く。
2016年、3月。普段だったら北海道に行くことなんてほとんどないのだが、その年は、予定外の「帰北」だった。
3月18日 勤務先の卒業式を終えて、そのまま空港に向かった。今回ばかりは胸が躍らない。「嘘であってくれ」と願い続けた。
空港から札幌、そして現地へ向かった。着いた頃には日が暮れていた。
久しぶりに顔を合わせた大学の同期や寮の仲間。みな、気が沈んでいる。再会を懐かしむこともない。何人かの先輩が「よく来たな」と声をかけてくれた。
そして、彼と再会した。彼は棺の中で静かに眠っていた。不思議と何も感じない。男同士の関係なんてそんなもんだ。何年も会ってなくてもあまり違和感はない。そんな気分だった。
初めて会う、彼の家族。気持ちを押し殺していたのか、一線を超えたのか、淡々と話をしてくれた。「遠い所からわざわざありがとうございます」と声をかけてくれた。全然気にならない。九州だろうと、北海道だろうと、距離なんて関係ない。
でも、彼は何も答えない。同じ場所、同じ時間に過ごした彼。今にも「おお、たけし!」とでも言ってきそうだ。でもそれもない。
その晩は、同期と一緒に過ごした。思い出話をしながら、繰り返しこう言った。
「どうすればよかったんだ」
失った命は還ってこない。授業で何度も子どもたちに教えてきたことだ。しかし、実際にそれを目の前にして、出てくる言葉は「後悔」
どんなに後悔しようとも反省しようとも、還ってこないものはこない。
込み上げてくる感情を押し殺しながら、なるべく気持ちが沈まないようにしながらも、現実を受け入れたくない想いは同じだったように思った。
僕らは同じ場所、同じ時間を共に過ごした。口は出さないけど、みんな「寂しがり屋」だ。なんだかんだ一緒にいる。「仲が良い」というのも何か変だ。「家族」と言った方が近い。「寮生は家族だ」よく先輩たちが口にしたものだ。
大学を卒業して、それぞれの道を進んだ。北海道に残る者もいれば、僕のように、地元に変える者もいた。就職のために新たな土地に住む者ものいた。顔を合わせるのは数年に1回くらいになった。だから、彼と会えないことには今だに違和感がない。会えば昔に戻る。その期間が少し長いだけ、そう思う。
葬儀を終え、出棺する時、彼が親しかった先輩たちが声を上げて泣いた。大の大人があんな泣き方をするのを初めてみた。僕より一緒に居た時間が長い人たちだ。想い入れも深いのだろう、と思った。そして、もらい泣きというわけではないけど、僕も感情が込み上げてきた。今で彼と過ごしてきた日々が一気にフラッシュバックした。僕はその時に彼の死を受け止めたんだと思う。
葬儀の翌日、地元に戻ることにしたので仲間たちと過ごすことにした。彼らと決めたことは「忘れない」だった。数年後に彼の自宅に行き、親御さんと話をした時もそう伝えられた。僕らより辛いのはご家族だろう。淡々と話しながらも、後悔が入り混じっているように思えた。やはり僕らにできることは「忘れない」だろうと思った。
あんな出来事、忘れないわけないと思ったけれど、時が経つに連れて、自分の生活を続けていくにつれ、薄らいでいった。色褪せているわけではないし、時々妻との会話の中で出てくることはあるけれど「彼がいない」ことが日常になっていった。
でも、3月になると思い出す。卒業式が近づいてくると思い出す。今年も仲間が墓参りに行ってくれたようだ。雪の中にある墓石というのは何度見ても自分には違和感でしかないが、まだ向こうはそんな季節だ。
僕が住む地域はもう春だ。桜もあと少しで咲く。
「失ったけど、忘れない」
僕はずっとこうして3月を迎え、4月から新しいスタートを切るんだと思う。
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