おにおに

小学校の先生をしています。教育のことや子育てのことなど、日々感じたことを書きます。管楽器の音楽が好きです。好きな場所は、屋久島と北海道です。好きな言葉は「きっとできる」です。よろしくお願いします。

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小学校の先生をしています。教育のことや子育てのことなど、日々感じたことを書きます。管楽器の音楽が好きです。好きな場所は、屋久島と北海道です。好きな言葉は「きっとできる」です。よろしくお願いします。

最近の記事

あの公園は今もなお、同じまま

19歳の頃。 予備校生だった僕は、予備校裏にある公園で気分転換していた。友達はおらず、話し相手もいない。毎日毎日、家と予備校の行き帰りだけ。喜怒哀楽は一つもなし。将来に対する不安と、現状への葛藤だけ。小説をよく読んだ。唯一、現実を忘れられる時間だった。 あれから20年。公園は何も変わらず昔のまま。 今でこそ、孤独で自分に向き合い続けたあの1年は無駄ではなかったと思ってる。大事な人との死別の悲しみや病気や事故と苦しさ等を除いて、孤独はつらい。だから人の「つながり」の中で、

    • 故郷にかえる

      先日、2、3日仕事を休みました。 気晴らしに育ちの故郷にきました。故郷の風景を見ながら、自分の過去のことを思い出しました。 僕は東京にうまれ、小学校2年生の春に両親の故郷である九州に来ました。集合住宅に住んでいたため、近い年齢の子達がたくさんいました。同じクラスや学年の子たちと一緒になって登校していました。 その時、僕の東京育ちの言葉遣いをからかう子たちがいました。「女みたい」「気持ち悪い」「弱虫」何日も何日も続くので、一人で泣いて行き帰りしていました。一生懸命地元の言

      • 同級生の死

        大学時代の同級生が亡くなったと連絡があった。 37歳。乳がんだったそうだ。 不思議と実感がなかった。悲しいという感情も湧いてこない。 今日までずっと存在を意識していなかったからだろうか。 この世に存在しない、二度と会う事はないのに、違和感がない。 テレビで有名人が亡くなった報道のようだ。 「え、あの子が死んじゃったんだよ。学生時代、あんだけ一緒にいたんでしょ。わざわざ会いにきたし、年賀状だってもらっていたじゃん。なんで悲しくないの?」 過去の僕が自分に声をかけて

        • 教員になろうと思ったときの話をしようか

          なぜ教員になったのですか。 なぜ教員を続けているのですか。 あんまり他人と話をする機会がないのですが、僕はこの問いに興味があります。なぜなら、僕自身がいつもこの問いと向き合い続けているからです。 突然ですが、教員の読者の方、みなさんはなぜ教員になったのですか。なぜ教員を続けているのですか。教員以外の読者の方、なぜその職業・立場に就いたのですか。なぜその職業・立場を続けているのですか。 Twitterを見ていると、学校の教員の仕事に対する不満がたくさん見られます。夜遅く

          #誰かの役に立てたこと

          先生のおかげです私の仕事は、こんな言葉をかけてもらえる仕事です。 時に子どもから。時に親から。 私の仕事は小学校の教師。 「子どもの役に立つ仕事」ともいえるかもしれません。 もちろん、一生懸命やっても何にも言われないこともあります。 「おまえのせいで」と言われたこともあります。 それが普通です。「先生のおかげです」なんて、ご褒美みたいなもの。 1年間一生懸命子どもと向き合って、「たまに」かけてもらえる言葉です。 だけど、そんな言葉が教師の「やりがい」の一つではないかと

          #誰かの役に立てたこと

          失っても忘れない

          3月 九州地方は春の訪れを感じるほど暖かくなる。月末には桜も咲くだろう。卒業や入学のシーズン。気持ちも何だか高揚する。 一方、北海道はまだ雪が残り、気温も低い。九州で育った僕には「春」を感じることはできない。住んでいた頃はその違いになかなか慣れなかった。北海道は5月ごろ、桜が咲く。 2016年、3月。普段だったら北海道に行くことなんてほとんどないのだが、その年は、予定外の「帰北」だった。 3月18日 勤務先の卒業式を終えて、そのまま空港に向かった。今回ばかりは胸が躍ら

          失っても忘れない

          イイ家具は良い

          一人暮らしをしている時、家具にあまりこだわりを持っていませんでした。できるだけ安いものを買う、ということを考えていました。結婚して、いわゆる「マイホーム」に住むようになってから、その考えが少し変わりました。 家具はイイものを選んだ方が良い。 というのも、安い家具は見栄えが悪かったり、痛みやすかったりすることがわかってきたからです。逆に少し値段はするけど、いい家具の方がずっと使えるように思います。 例えば、先日購入したテレビ台。 福岡の大川というところで作られた家具なの

          イイ家具は良い

          実は好きなこと

          僕は小学生になるまで、東京で生まれ育ちました。家族で移動する手段は、もっぱら電車。車に乗ることはほとんどなかったです。西武ライオンズ球場が近くにある、西武池袋線の沿線に住んでいたこともあって、電車に乗ることは僕の楽しみの一つでした。 小さい頃は、駅の名前や急行や特急の停車駅などを覚えていたようです。そんな僕の将来の夢は「電車の運転手」だったそうです。 父親の転勤の都合で、九州に引っ越してからは、家族での移動手段は自動車に代わり、電車に乗ることは少なくなりました。それでも、

          実は好きなこと

          思い出のアルバム

          いつのことだか思い出してごらん あんなことこんなことあったでしょう 多くの方が知る曲「思い出のアルバム」のワンフレーズです。 今だに幼稚園や保育園の卒園式などで歌われているようですね。 私はこの曲が大好きで、学級担任をしている時、一年の終わりによく弾き語りをしていました。子どもたちに「仲間との思い出」を大事にしてほしいという想いからです。ピアノは得意ではないので、よく家で練習しました。 子どもよりも教師である僕の方が気持ちが高まってきて、歌えなかったり、手が止まってし

          思い出のアルバム

          おばあちゃんの思い出

          10代の頃でしょうか、ドラえもんの映画で「おばあちゃんの思い出」を観ました。まだ当時は、祖母は在命でしたが、胸が苦しくなり、涙が出ました。 あれから十数年。先日、祖母が亡くなりました。 92歳。 天寿を全うした、とも言える年齢でしょう。 祖父がかなり前に亡くなったので、すごく長生きをしたように思います。 訃報を聞いた時、自分でも不思議なくらい感情の変化はなく、淡々と受け入れることができました。年始に会った時のことが影響しているのかもしれません。年始に会った時にはほとんど人

          おばあちゃんの思い出

          きっとできる

          はじめまして。 おにおにです。小学校の先生をしています。どうぞよろしくお願いします。 別のブログも運用しているのですが、もう少し自分自身の内面や日常に寄せたブログを作りたくて、noteをはじめてみました。教育のこと、子育てのことなど、自分の思ったことをコラムのようにつらつらと書くことになると思います。そのうち、Facebookに投稿できるようになったらいいな。 さて、この記事のタイトル「きっとできる」について書いていきます。「きっとできる」は、「座右の銘」というほどでも

          きっとできる