いつも大らかな日本人
日本の伝統文化はやはりこれではないでしょうか。
大らかでいるのは氣持ち的にも清々しい
いつもご機嫌なのは最高です。ご機嫌は『五鬼減』と語呂を変えて読めるとも見た事があり、内に秘めた鬼を現実世界に顕現化せず、『鬼は内、服は内』として内側に秘めながら鬼を減らし、福を内に秘めながらも外に出さず一定でいるうちに、どんどん福が溜まっていくのではと勝手に解釈を進めてみました。
また、理想の現実を手に入れようと瞑想中になりたい未来にアクセスする時でも、ひたすらいい氣分でいる、リラックスしなさいとよく言われています。
しかしながら、朝起きてから夜眠るまで、ずっとご機嫌でいるには浮世はなにくれと多事多忙で、仕事、家の事、お金の事、などが脳内にまとわりついて、生きていくためには必要な事柄でついつい不機嫌にもなりがちです。
かくゆう私も浮き沈みがもちろんあって、沈みの時間は少なければ少ないほどいいなあと思っています。
不機嫌の体験
私の不機嫌がご機嫌に変えられた経験を紹介しますので、同じような境遇の方のご参考になれば幸いと思い例を書きますと、私は3歳の娘と生後7ヶ月の息子が居て、仕事は8時17時の会社員土日休みで妻は今育休中です。
娘は保育園に慣れたもので、だいぶ楽になってきましたが、息子はまだ夜泣きする事があって、妻と私の交代でミルクをあげてオムツを変えています。夜は20時ころには寝て0時~5時の間ランダムに夜泣きがあって、起きた方が対応します。
私は眠りが浅いのかだいたい起きてしまい、眠さからかついつい泣き声がうるさいと思って、娘や隣の部屋の住人に迷惑かけないようにと思いつつまだ言葉がわからない息子に「うるさいよ!」といってしまったり、1回分しか2階に持ってこなかったミルクが、2回目の夜泣きの時に、明らかに不機嫌にどすどす階段を下りて、下にミルクを作りに行ってました。
妻もその状況に気付いたらしく、次の日の寝る前に、『部屋を出ていったとき、息子は武生の事を探してドアの方を見ているよ、あんまりイライラしないであげて。』と優しく自分に言ってくれました。
不機嫌の原因に気付く
私はハッとして、イライラしていたその時、心の中で色んな感情を妻のせいにしていたことに気付きました。具体的には「育休中なら妻がやってほしい」「仕事しているのに夜泣き対応したくない」「朝自分でおにぎりを作ったり、家の事を時間ない中でしているのに妻も育休中ならもっとやってくれよ」みたいに全部妻のせいにしてしまっていたので不機嫌になっていたのです。
何も知らない息子は、私みたいな者でも父と思ってくれているらしく、仕事が終わって帰ったらニッコリ笑ってくれたり、ズリばいが始まって私のところにズリズリ来てくれたり、それは無条件の愛で、私を必要としてくれました。そんな事にも気付かずに、自分の都合で勝手にイライラしていて心が痛みました。
妻の有り難み
今思えば、妻は子供の服を友達からもらったり買ってくれていたり、離乳食の事、ミルクの事、保育園の手続き、いつも帰ったら晩御飯が出来ていたりと、その他もろもろ私の知らないところできっちりと動いてくれていました。私はほとんど何もしていないのに私に文句ひとつ言わず。
妻に氣のきいた事もしてあげられていないのに、空いたほんの束の間に録画したドラマを見る程度で氣晴らしをして健気に頑張ってくれていました。
境遇が生んだ固定観念
私は今40歳昭和の人間で、父親はほとんど家事もせず仕事はしてるけど、家でも好きな事している様に見えていました。共働きながら母は家事育児をして、父親は私達をお風呂に入れる程度で洗い物も洗濯もずっとせず、未だにした事がない状況を見ているので、私の現状とかけ離れているのが普通と思い、『男は働いてお金稼いでればいい』との固定観念がこびりついていて、勝手に女性がやるべきだと思い込み妻に期待してしまっていた所がありました。また、今の男は基本、家事もやるもので父親は楽な時代を生きてきて羨ましいなどと思っていました。
更に、よく外に出て遊べている同じ境遇の知り合いを見て羨ましいとも。
今は昔ほど賃金も高くないのか、男一人で養っている家は少なく共働きが多いように感じます。自分の親世代は既に共働きが始まり出したり集団就職真っ最中で、母親は単身で就職先と定時制の学校で高校を卒業して根性があり、結婚してからもめちゃくちゃ頑張るのが普通だったみたいだ。仕事しながら私たちのご飯、お弁当、家事をさらっとこなしてわりと怒られた記憶もなくご機嫌でいたのだ。生きているだけでお金はかかるので仕事はやめられず、それでも健氣に頑張っていた。
現代は女性が強くなったという人も居る
共働きなら男も家事育児をする、育メンなんて言葉もあるし、男の育休も奨励している会社も少なくない。男が好きに遊びに行くなら完璧に家事をこなしてから行くのがわりと普通の常識になりつつある。よっぽど稼ぎが良くて専業主婦にしてあげて、エステ美容院も毎月の様に行かせてあげれれば話しは別だが、本当の大昔は、貧乏だろうと女性に全て任せていたって事実を思うと、それはそれで強い国だったとも思うし、どの時代が1番いいとは言い難い。
時代が変わった、今の男は損だという声も聞くし、その意見に同調したこともある。確かに昔と比べての不公平感を考えるとそう思いやすい状況だ。
視点を変えてみる
この便利な時代、粗悪なドーパミンがあちこちに網を張り巡らせている中、家の事をやらせてもらうだけで自分がダラダラせずに済んでいるし、家事一般全て神事だと思えて率先してやれている、亭主関白の時代から女性を立てる西洋文化の流入によって女性の氣持ちを立てるように男の思いやりもレベルが上がっている。忙しい生活をさせてもらってこそ抜け出すモチベーションにもなるし、抜け出した後にこの時の経験が有難く貴重な経験と後で言えるし動きも良くなるだろうから、世間一般一概に言えずとも、自分が一番いい時代を生きていると捉えれば、今、一番男が強くなっていると考えられる。昔は良かった。昔の男は違ったなどと言いたい氣持ちもわかるし、男は広がり続け、女性は内を守り続けるという古事記から伝わる自然の摂理みたいなものを、今の時代に合わせての体現ができるかもしれない。大調和時代、弥勒の世に向かうには必要なのかもしれない。
男が今の時代で何するかきっちり見極めて行動する様に、全部必要な事と思う事にしたんです。
不機嫌からご機嫌への変化
以上の事から私はイライラを引きずる事なく、昨日までの事を反省して後悔する事が出来たので、その夜の夜泣きは、「今作るから待っていてね。」と頭をなでなでしながら声をかけて眠いながらと息子を愛おしく思う事ができました。
そのおかげか、今日の朝はとても氣分が良く起きれて、妻も私より早く起きていつも自分で作っているおにぎりにおかずもプラスして今日は作ってくれました。
朝、家を出るまえに寝室に寄って、起きたばかりの娘と息子におはようと言って出てきました。
昨日の私は、月曜日の朝でギリギリの時間に家を出て、横断歩道で待つ学生を見ながらそれを無視して急いで会社に向かっている余裕のない男でした。
日常の小さなことですが、浮き沈みの浮いている時は氣分がよくてずっと続けばいいと思っていましたが、たまにはある沈みがいかに重要な学びを秘めているかがわかりました。
情報を取りすぎて社会に不満を募らせていた時には、仲のいい数少ない友達、価値観の合う人以外を敵視していた面もあり、考え方の違いを認めようとしていなかったのが、沈みを放置せずに浮きに変えたいと思った事で気付きを得る事が出来ました。
きっとこれからも浮き沈みがあると思いますが、どうしても長引きそうな沈みがあるたびにこうしてアウトプットしておけば確実に自分の為になり、あわよくば誰かの為にもなるかなっとの思いから、文章を残してみました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
お互いに浮き沈みを楽しみましょうd( ̄  ̄)