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(高慢かつ愚痴めいた話です。スルーして下さって、最後の写真だけでもご覧いただけたら大変うれしいです。) 風景写真を撮り始めて26年が過ぎようとしています。その間、フィルムからデジタルへと時代は変わり、カメラを向ける対象も移り変わってきました。 勤務先の裏山の草花 ➡ 自宅近場の自然風景(海山里)➡ (約5年間の空白期間)➡ 朝倉氏遺跡 ➡ 平泉寺を追加 ➡ 越知山越知神社を追加 ➡ 山間の限界集落を追加 ➡ ふるさと回帰(世間に知られずに埋もれ
一乗谷朝倉氏遺跡を撮り始めてから15年が過ぎようとしています。 ここに絶版となった私の最初の写真集「一乗谷余情」があります。その中から私の撮影スタンスについての拙文を抜粋して初めに載せさせていただきます。
今年4月で私のカメラ人生は28年目に入ります。 最初は、転勤した職場の裏山にだれの目にも止まらずひっそりと息づいている草花が被写体でした。 かれんな美しさを湛えながらも、けなげに生きている花の姿に感動して、休日には夢中で撮っていました。慣れてくると自宅から半径12キロの近場の風景を撮るようになりました。このフィルムカメラ時代が5年ほど続いたあと、我が人生最大の試練に直面し、数年間カメラから遠ざかります。 私のライフワークとなった一乗谷朝倉氏遺跡はその後になります。ちょ
昔、デュークエイセスというコーラスグループが活躍していました。 彼らのヒット曲の中に、「おさななじみ」という歌があります。その歌詞の中に、今も忘れらない次の一節がありました。 またまた自虐的な私事で恐縮ですが、私の出身小学校は田舎の小さい学校でした。6年間同級生の顔触れは変動がなく固定されていました。 小学校の行事では運動会が一番嫌いでした。毎年、雨で中止になってほしいと神様に祈っていたほどです。 徒競走がありました。6人で走るのです。私は6年間いつも4等でした。
先日ある知人から半ば呆れ顔で言われました。 「よくまぁ写真続けられるのぉ、プロでもねぇのに、 ありゃ趣味でものうて、ただの道楽やざ」 心にグサリと刺さり‥‥‥‥ませんでした(笑) 写真創作活動はフィルムからデジタルに変わっても、確かにお金のかかる趣味です。その分、日常の生活では衣・食・住すべての面で切り詰めなければ、私の場合は本格的に活動を続けることは無理です。 最近は軽量で高性能のミラースカメラが主流です。10年前のEOS5DⅢ(シ
福井県の国特別史跡「一乗谷朝倉氏遺跡」や国史跡「白山平泉寺旧境内」等の歴史的情景を中心に撮っている北野です。地元では現場百ペン主義の風変わり者として少しだけ知られています。 いつも一心不乱(?)、真剣勝負で撮っています。以前、県史跡「越知山越知神社」で撮っているとき、宮司さんから呆れたような真顔で言われました。 「北野さん、いつもそんな鬼のような形相で撮っていると神様は逃げていってしまうよ。もっと肩の力を抜いて、リラックスしなさい。」 しかし、この性分は治りませ