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写文集「 そうだったのか! 一乗谷 」

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こんなこと、あんなこと、知られざる情景を現場百ペン主義に基づいて写真と文章で綴った記事を集録しました。(随時、記事を追加していく予定です。このマガジン自体は現在も今後も有料ではあ…
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2022年5月の記事一覧

「また、人が入ってしまった~!」

 以前、テレビ番組で私が尊敬する写真家のお一人、石橋睦美氏が伊勢神宮を撮っておられる場面がありました。  絶好のシャッターチャンスなのに、画面の構図に人の姿が入ってしまったのです。「そこで止まらないで~!」と石橋さんは苦笑いされていました。    私もスナップショットではなく風景を撮っているときに、画面に人が紛れ込むこと、「エ~!なんでよ~!!」と思わず叫びたくなる時があります。  しかも皮肉なことに、その人が行き過ぎるのを待っているときに限って移動しないのですね。あせります

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一乗滝を訪ねて

 朝倉氏遺跡の一乗城下町跡から約4km離れた一乗谷最奥に、一乗谷川の源流起点ともいうべき一乗滝があります。  私は年に1,2回訪れるだけで普段はほとんど行ったことがありません。  落差約12m、幅約2mのこじんまりとした滝ですが、駐車場やトイレも完備しています。車を降りて5分もかからず滝つぼまで容易に徒歩で行くことができ、アクセスの便が良いので地元福井では人気の見学地であり、憩いの場となっています。(休憩施設もあり、特に夏は避暑地としても賑わいます。)

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一乗谷を歩く 〖八地谷~月見山〗

 一乗城下町跡は細長い一乗谷に南北に広がっていました。  城下町の入り口にあたる上城戸と下城戸の間、約1.7kmの中に1万人の人々が平和に暮らしていました。  北の京と言われる戦国時代有数の巨大都市であり、戦国のユートピアともいえる戦国城下町でした。  その細長い谷間の中心部あたりに、東西に伸びる奥行き約500mほどの支谷がありました。「八地谷(やちだに)」と呼ばれれている区域です。

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一乗谷を歩く 〖逆臣 景鏡屋敷跡〗

 南北に細長い一乗城下町跡は下城戸から上城戸まで直線距離で1700mほどあります。東西の幅は広い部分で500mぐらいです。  この城下町跡で、現場百ペン主義で撮影する北野が歩いていて直感的に思うことがあります。  「お前、アホか!」と笑われそうな突拍子もないそのことを、本稿では「なぜ、朝倉景鏡は主君を裏切ったのか」という大命題と絡めて述べたいと思います。  併せて巻末に、眉目秀麗のイケメンかつ悲劇の若武者、朝倉道景の屋敷跡を紹介させていただきます。(見出し画像は道景屋敷跡の紅

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一乗谷を歩く  〖瓢町〗

 国特別史跡「一乗谷朝倉氏遺跡」(福井県)は戦国時代に栄えた城下町跡です。  朝倉時代の旅人たちが下城戸(城下町の入り口)で厳重な身元チェックを受けて、初めて足を踏み入れ、目にする町並が瓢町です。  この朝倉時代の土地名は現在もそのまま使われています。

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京文化の流入口でした

 戦国時代有数の巨大都市、一乗城下町は南北に伸びる細長い谷間にありました。  城下町の両端は上城戸(南側出入り口)と下城戸(北側出入り口)で、直線距離で約1700mあります。  東西の幅が200~300mぐらいで、その狭い範囲内に1万人ほどの武士・町人等が住んでいました。  高いのは人口密度だけでなく、人々の経済・文化生活水準も非常に高く、京の都に勝るとも劣らなかったと言われています。

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