普通の日常を書くことが人権活動になるのか?
何度も書いてはいるが、いちおう精神疾患の患者である。自分にとっては普通の日常生活ではあるが、世間ではそう思われてはいないらしい。
先日に精神科病院デイケアに見学に来た看護学生の女性も、デイケアの利用者は暴れたりわめいているかもしれないという印象があったらしく、こちらとしては大いに驚いたのだった。他の患者と自分との性格や知能、能力の違いはそれぞれの違いだから置いとくとしても、それを一般化するのは「あんた、どーよ?」とは思う。
話は変わって、精神疾患に対する社会的な差別というかスティグマをかなりの年月味わってきたので、この際インターネットアクティビストをしてみることにしたが、効果の程がさっぱりわからない。何度か立ち上げたネット署名もそう何度もやるものでもないので、自分でできることと言えば、noteにウェブサイトに、SNSのXでの発言くらいかなー。
ということで、書くことといえば凡人のそれなりの日常になるのだが、仕方なくAIのBardに相談してみたところ、ヤツは患者の普通の日常が世間に広がることが精神疾患に対する偏見を減らすためのインターネットアクティビズムになるというではないか。
おお、これなら自分の興味に合わせてやっているだけでOKか!ということで、あんまり人権活動家風ではなく一般人風というか凡人風味でインターネットアクティビストを続けていくことにした。まあ、世間が主導で精神疾患患者の主体を潰してくる流れを断ち切る発端になるかどうかは、冷静に観察するが。