アクティビストの行方
アクティビストをどう続けるか迷っている。
エッセイスト塩谷舞さんの説明では、英語のアクティビストの意味は、日本語のような活動家という激しい意味ではなく、政治的または社会的な行動をする人というライトな意味であり、その点ではハードルが若干低くなる。
以前の記事になるが、自分はインターネットアクティビストと称してインターネットを使った社会運動を試みてみたが、ちょっと手間取った割にはそれほどの成果は得られなかったようだ。政党やメディアへの投書が一番効果的だった気もするが、相手任せなのでなんともならない。
実際は何のアクティビストになるかと言うと、精神保健福祉アクティビストということになり、精神医療や福祉に対して一家言持っているということだ。
しかし、けっこう頻繁にインターネットによるアクティビズムを行ったので、しばらくは控えているが、やはり世界的に立ち遅れた精神保健福祉の現状や社会からの偏見や差別に憤るということもあり、何かの形でアクティビズムを続けたい。
今までは、国際人権団体のアムネスティやヒューマンライツ・ナウ、NPOのダイアローグ・フォー・ピープルの会員になってみたし、大阪精神医療人権センターの賛助会員や全国「精神病」者集団の会員になってみたが、精神保健福祉改革に特化した活動団体は無いので、現在は精神保健福祉もテーマに含めているヒューマン・ライツ・ウォッチに寄付という形で支援をしている。彼らのアクティビストとしての活動力に期待してのことだ。
現在、年三千円の寄付をヒューマン・ライツ・ウォッチに行いながら、俳句と短歌制作に励んでいるが、これをアクティビズムに代えられないかと考えている。
北海道浦河町にある福祉施設べてるの家が宣伝しまくった「降りていく生き方」というキャッチフレーズが大嫌いで、こちらはG7ソルファニャーノ憲章にも採用されている、障害者というか患者の能力を高めて社会参画させるというリカバリーという考え方を取り入れている。
「降りていく生き方」を押し付けられているのは精神障害者だけだし、そもそも僕は医学的には患者としか考えていないので、「降りていく生き方」ではなく、「高めていく生き方」あるいは「自分の能力で社会参画する生き方」を提示したい。
説明が長かった。
現在のところ、俳句と短歌を始めて半年で、読売歌壇入選や俳人長谷川櫂先生の「ネット投句」での入選と特選、夏井いつき先生の「俳句生活」での5回連続佳作と俳句も短歌もアマチュア上級レベルにほぼ達したようだ。あとは文語文法を身につけるだけだが、これは省く。
ということで、俳句と短歌の上昇率が自分でも驚くほどなので、今後はコンテストに応募して佳作や入選や入賞、さらには大賞を取って名前を記録に残したい。それが目的で俳句や短歌を作っていると言ってもいい。
俳句や短歌の公募やコンテストの入選率は数パーセントだから、心の病の僕は厚生労働省の定めた三障害の定義の矛盾を明らかにしたと思っているし、思い過ごしでなく時代の潮流を変えるきっかけになったと考えている。
時代はべてるの家の提唱した「降りていく生き方」ではなくG7の障害と権利に関するソルファニャーノ憲章に提示されている、リカバリーと社会的包括がこれからの障害者支援になると思うし、それに精神疾患の患者も含まれる。
かなり早く時代は変化すると思うが、微力ながら俳句と短歌で入選を重ね、時代の記録を残して先陣を切りたい。そのように考えている。