見出し画像

無常って無情か?!

昨日はAmazonで注文した角川ソフィア文庫の、歎異抄と方丈記と徒然草が届いた。

どの本も好きだというか、実家の宗派である浄土真宗の「歎異抄」は別にして、鴨長明の「方丈記」と兼好法師の「徒然草」は日本的な無常観が強く出ていて趣きがある。

そういえば、お釈迦様が語った諸行無常というのは、物事は絶えず変化し同じ状態に留まらないということを単に述べただけなのだが、日本ではもののあわれが加わって、独特の世の儚さや悲しさを醸し出している。

で、いきなり親鸞の「歎異抄」に戻るわけであるが、これは鎌倉仏教の開祖の一人親鸞聖人の言葉が全開なので、無常観もバリバリ伝説だ。業縁などというどうしようもない人や物事の縁についても語られているし。

というものの、「諸行無常というのはそれほどアレなのか?」と思うのである。つまりは、人間万事塞翁が馬というか苦あれば楽ありということで、良いことがあれば悪いこともあり、それが移り変わるのが人生だということで、四民平等というかみんな苦労するのよね、人生は。という気がする。

なんというか心の病で苦労してきた自分だけども頑張って努力してきたし、達観した部分もあるし、努力したことに後悔はない。努力があまり報われなかったのは残念だが、諸行無常の本来的な意味で、これから良いことが巡ってくるかなーと思ったりする昨今の自分なのであった。

独身男性の一人暮らしなのではあったが、自分好みの女性と知り合いになれないかなーと考えたりなんかして。(ー_ー;)

それは冗談としても、ひとまずは取り組み始めた創作活動(水彩画、俳句、noteのエッセイ)で賞を狙っていき、少しずつ世間の評価を得たいという目論見なのであった。いろいろとコンテストや俳句番組や、noteだったら創作大賞に応募するとかやり続けてみたい。

いや、何が何時いいことに結びつくかは諸行無常の本来的な意味でいえばそうなると思うので、せっせと作っていれば上達もするし、誰かの目に止まることもあるだろう。案外別方向でもいいことがあったりして。

という訳で、祇園精舎の鐘の声で泣いているんじゃなくて、人生の浮き沈みを味わいながらラッキーな出来事が巡ってくるまで努力してみようじゃないか、諸君。という提案でした。


いいなと思ったら応援しよう!

山本葉舟
情報機器の備品に使います。よろしく!