新書「森田療法」(講談社現代新書)を読んでみた。
いや、なんというか心の病の患者だからというわけでもないが、友達の推薦で精神科医の故岩井寛先生の新書「森田療法」を読んでみたのだった。
森田療法はかなり昔の精神療法で、著者の岩井先生がこの新書を世に出したのが40年前ぐらいの1986年なのだ。森田療法の発案者森田正馬がこの療法のもとになる理論を考え出したのは、ちょうどフロイトの精神分析学が日本に初めて入ってきたくらいの頃だから、相当な昔だ。1921年らしいから、100年前だな。
ということで、今は実際の医療現場であまり取り入れられていないであろう森田療法だと思うのだが、実際この本は僕にとっては名著だと感じた。
というのも、神経症というのは誰もが一般的に持っている心理の動きが、器質や環境や出来事によって症状として現れるので、その人間的な生の欲望に囚われて思わず行動してしまうというのは、何も特殊なことではないのだ。
詳しくは森田療法の本やこの新書を読んでいただくとして、完璧主義的に自分を縛り、自分の様々な醜い部分や嫌な部分、だらけた部分から目を背けると神経症に移行しやすいと書かれている。
例えば、人前で発表をしようとすると顔がどうしても赤くなり(赤面症)、それが嫌で学校を休んでしまうというのが神経症である。他にも醜形恐怖症等があるが詳細は省く。
簡単に書くと完璧な自分の状態を求めるあまりに現在の自分の不完全な状況を否定し、より不都合な状態を作り出したり逃避したりしてしまうということになるのだ。
重要なのは、岩井寛先生の書くように、こういう気持は誰にでもあり、何も神経症の人だけが持つ特別な気持ちではないのだ。それでも不完全ながらも「目的本位」にやるべきことをやったほうがいい。
この本の例に出されているのだが、何代目かの歌舞伎俳優の勘三郎さんが、いつまで経っても舞台に出る前は必ず足が震えると語っていて、そういう時でも嫌がらずに舞台に上がるのがふつうの心理状態であるということなのだ。生きることには少々の我慢は必要で、嫌だなとかダメだなという気持ちを「あるがまま」に抱えながらも、自分のやるべきことや理想とする方向を目指す「目的本位」の行動を採るということなのである。
んー、これは勉強になったぞ。というのも、自分は自分の心の病の病名を三十年前に教えられなかったのを幸いに、「目的本位」でやりたいことややるべきことをせっせとやってきた。もちろん症状なりの制限はあったし、途中で入院も経験したが、制限された中でもできることは努力してきたという自信だけはある。
もちろん自分の弱さや心の中の嫌な部分も自覚していて、病気を抱え続けるのが辛くてお酒に逃げようとしたときもあったし、すぐに人との優劣を計りたがる癖がある(自分が上回ろうとして)のがそういう部分だ。やる気の出ない時は言い訳しながらサボるときもあるし。
ところが、著者の岩井先生は「それが自然だ!」と書かれているのである。んー、これには自分も驚いたぞ。みんな(心の病の人もそうでない人も)そういう気持ちを抱えながら生きていることが書籍で確認できたのは僥倖だった。いや、本当に友達なんかはこういう心理を特別視してるからさ。
いや、何げに我が家の話をすると、父も叔父も自分も弟も、試験の前には必ずお腹を下す習性があった。もちろん大人になるにつれて治まっていったが、高校時代や大学受験時代が特に酷かったようだ。自分なんかも定期テストの途中で何回トイレに駆け込んだことか。(びろうな話で済みません)。
しかし、我が家系はそれでもやり切るという性質の持ち主のため、全員が何とかなったというのがことの結末である。僕も心の病を抱えながらもやれることは精一杯やってきたし。本当に一般人と変わらない意識でがんばったり頑張ろうとしていたと思う。もちろん森田療法の「目的本位」だ。
でもねー、やっぱり今日は料理を作るのが面倒だったり、カップ麺で済ますかと思ったりやったりするのよね、こんな自分なのよ。
いや、なぜHIP-HOPのラッパーみたいに世間とバチバチやりたい心境になるのかというと、かなりのところまで自分を高めたし、実際できるのに、あの低レベルな福祉環境に抑圧しやがって、という気持ちはある。
それは置いておくとしても、今はちょうど隠居の身っぽくなって(まだ50半ばだが)、自分のレベルでやりたいことをせっせとやれる立場になってきた。もちろんお金の節約は必要だが、水彩画に数学の学び直しに俳句にと、目的本位でようやく取り組めるような状況になってきた。
確かに心の病であるという病識はあるのであるが、病名を医師からは直接聞いたことは一度もないので(福祉のアホが漏らした)、調子を見ながら目的本位でがんばって残りの人生を生きていこうと思う。もちろん自分に嫌な部分や汚い部分があるということも、この新書の読書でかなり了解できたというか認められた。
いや、あとがきにも感動したし、この本は本当に名著だと思う。どちらかというと個人的にはV.E.フランクルの心理学よりも評価する。けっこうフロイトから始まってヨーロッパの心理学は外側から人の心を観察した心理学が多いのに、森田式療法は内観的というか自分の心の中を観察するような意識に基づいた心理学なので、とても納得感がある。仏教との共通性を岩井先生も書かれていたから、白隠禅師の「内観の法」を少し思い出した。
というわけで、神経症に限定された内容ではあるが、対象読者が神経症の人はもちろん、一般読者の方も含まれるので、自分の心の動きはどういうものか、また生き方に迷っている方は一読されることをお勧めしたい。
僕はこの本を座右の書の一冊に加えることに決めたし、岩井寛先生の人間性に惹かれて私淑することにした。んー、人生のお手本であり師匠だよ。先生は。