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結局才能の違いなのかねー。

慶應義塾大学教授で行動遺伝学者の安藤寿康先生の学説が好きで、行動遺伝学にハマっているのだった。

行動遺伝学というのは、環境や親の育て方も多少は影響するが、すべての側面に遺伝子というか遺伝的な影響は及んでいて、その違いは見過ごせないほどのレベルに達するということなのだ。

例えば、仮に僕がマラソンを走ろうとすると、マラソンに適した体型や持久力や体力や、疲労回復力等が他人よりも秀でていたほうが絶対に有利なのは間違いなく、運動的特性は特に遺伝に左右される側面は大きいと思う。

行動遺伝学も最近は実際の科学的な遺伝学に裏付けられるようになってきて、科学的信憑性が増してきたのだが、ある意味ガッカリするような考え方ではある。せっかく頑張って取り組んでいるジャンルにそれほど能力的素質がないということも十分に有り得るからだ。

仕事で考えると、やはり好きというよりも自分の能力を発揮できる仕事や職種で働いたほうが収入に直結するので死活問題と言えるのだが、趣味となってくると、あえて得意なものを探し出して趣味にするか、あるいは下手くそでも大好きだから趣味として続けるかどうかの二択になってくると思う。

昔の人は努力でなんとかなると言って発破をかけがちなのだが(京セラ名誉会長の稲盛和夫さんの書籍がそう)、しかし元々の素質が違うとスタートラインが違うのと同じで、同じ努力をしても結果は必ず差が付いてくる。

もちろん、あの野球のイチロー選手や大谷翔平選手が努力をしていないというのではない。彼らも信じられないくらいの努力を確かにしているわけだ。しかし、努力の出方というか努力が結果に直結するかどうかが遺伝的素質の違いに現れるということで、これが「遺伝子の不都合な真実」ということになるのだろう。

他には、僕の家系が癌の家系だったりするし、他の家では糖尿病にかかりやすかったり、肥満家系など、ある意味自分の努力ではどうしようもない部分も確かにある。

ということで、安藤寿康先生の行動遺伝学を紹介して終わるのでは芸がないので、自分の考えを加えてみる。

人間才能の違いは仕方がないので、自分に適した環境と才能を見つけ出す努力をしてみるというのも一つの手なのだが、これも少し上手く行かない面があって、調子よく才能を発揮できる環境に恵まれなかったり、そもそも素質がなかったりすることもある。そこでどうするかというと、与えられた環境の中でできるだけ自分の得意な分野を見つけ出し、それに関して努力しながら納得するか、あるいは環境自体を変えて別の素質が現れるのを試すという手もありそうだ。

動くか留まるか。一つの賭けのようなことになってくるのだが、どうしても自分の置かれた状況で能力を発揮できない場合は、場所を変えるというのも一つの手だし、取り組むジャンルを変えてみるのもありだろうと思う。高校生なら試しに部活を変えてみるというのも一つの方法だろう。

行動遺伝学では環境の影響と遺伝の影響の両方を人は受けるという学説なので、遺伝ばかりが尊重されるというような学説では本来ない。でも、すべてが努力でなんとかなるわけではないし、思ったよりも遺伝の影響はどんなジャンルにもついて回るということなのだ。

平々凡々と生きていきたい場合なら、遺伝とかについて考えなくてもいいだろうが、世の中で自分の能力を発揮したかったり、できるだけトップを目指したい人は、自分のどんな能力が高いかや、どのような能力が伸びてきているかを観察というかチェックしながら過ごすといいと思う。いわゆるアンテナを張るということだ。これは運動だけではなく、知能にも当てはまるので、学校のテストでどの学科の成績が伸びているかには敏感になったほうがいい。確かに進む道を選ぶ時の参考になるからだ。運動オンチの人間がいくら努力しても運動能力が上がらないのは、僕は中学の時の運動部で痛感しているから。

そこで出てくるのが、「知能というか頭の良さはどうなるの?」ということになるのだが、そこはそれ、行動遺伝学では頭の良さにも遺伝は影響する。そこでガッカリしがちなのであるが、ちょっと待って欲しかったりする。勉強よりも、運動や工作、あるいは職人技や服飾関係に美容師等、勉強以外の素質が物をいうジャンルも多くある。同じ知的能力でもリーダーシップに優れていると経営者向きかもしれない。

結論に移るが、ここで遺伝万能説にいきなり走らずに、人生を生きていていろいろやってみると、かなりの確率で自分の得意とするジャンルや仕事に行き当たったりすることがあるということなのだ。本来の社会と違う疑似体験とも言える学校生活でも様々な学習や体験を行うことによって、自分の得意な、つまりは優位性を持つジャンルを見つけ出すことは可能だ。行動遺伝学の説明する遺伝的な素質の芽を教育によっても発見できるから、もっと場としての教育現場の大切さは強調してもいいと思う。仮に学校で人間関係が下手でも、それなら個人的に進められる仕事や学習ジャンルを選択するという考え方もできるし、物は考えようである。

僕は数ヶ月前に始めた俳句がネットの公募で入選続きという嬉しい悲鳴を上げているが、これは遺伝的素質にたまたま俳句が引っかかったのかもしれない。でも慢心しているとこれ以上の能力の伸びは見込めないので、やはり俳句も努力して、入選を目指して努力を重ねたいというところである。

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