好き嫌い
私は好き嫌いが激しい。
私のアイデンティティといえば好き嫌いである、
と言えるくらいには、激しい。
禅の言葉に悟無好悪(さとればこうおなし)というものがあるそうだが、これはあるがままを受け入れれば、好き嫌いは自然となくなる、という意味らしい。
私から言わせてみれば、好き嫌いをする事が私自身のあるがままである。独自性をそこに見いだしている以上、この禅語を受け入れることは出来ない。
悟りが足りていないとも言えるかもしれない。
俗物で結構、なんとでも言えである。
かと言って様々な場面において好悪の情が生まれる訳ではなく、殆どの場合は食べ物において発生する。親しい間柄の人間ならばよくご存知だろうが、同じ食材でも調理法によって、好き嫌いの感情が分かれるのである。
その代表的な例は、トウモロコシだ。
私はコーンポタージュがとても好きである。私のスープランキング、堂々の1位だ。コーンポタージュがコースで出てきた時の喜びは、何物にも代えがたいものがある。
しかしながら、私はコーンの粒は苦手である。例えばファミリーレストランなどでハンバーグを注文した時に添えられているコーン。これは私にとっては飾りである。彩りのための、背景だ。
しかししかし、バーベキューや夏の出店においてたまに見かける、トウモロコシをコーンの粒に分けていない、そのままの状態で焼いているトウモロコシ。あれは食べることが出来る。
好き、とまでは言えない。食べることは、できる。
何が違うのか?いや、全然違う。粒にした瞬間にあの野菜は全ての魅力を失うのだ。私にとっては。
トウモロコシは全体でひとつの作品である。完成したジグソーパズルを1ピースずつ外し楽しむ人間が
何処にいるのだろうか。
そして私の好きは、ある種非常に片寄った食生活を産んでいる。
ラーメン、ラーメン、うどん、カレー、ラーメン、うどん、そして、ラーメン。ほぼ麺である。
これは偏食なのだろうか?ラーメンと言っても、様々な味がある。醤油味でも色々なジャンルが存在している。二郎系ばかり食べている人は、間違いなく偏食家だ。しかし、様々なラーメンを食べている私は、偏食家では断じて無い。
好き嫌いなんてしていたら、身長伸びないよ!!
よく聞く言葉だ。
しかして果たして本当にそうだろうか?
私の身長は、182cmである。
私は好き嫌いが激しい。