人望は、リーダーに必要ない。
私の場合、タイトルの通り人望のあるタイプでは全くありませんでした。でも、リーダーとして総スカンを喰らったか、といえばNOです。今回は、どのようにしてふるまったのか?を歴史的な実例も交えながら書いていきます。
まず、私が当時大事にしていたのが…
群れない、ブレない、近づかない
というモノ。まずはコレから説明していきましょう。
まず、群れないは単純。部下と仲良くなろうとはしませんでした。従って、仕事の後に一緒に食べに行ったり、飲みに行くなども皆無。会社側が開催した全体的な親睦会は参加しましたが、一次会で退出。二次会は行きませんでした。
コレは理由として簡単で、一次会は全員がいる確率が極めて高い。だから、特定個人との親睦とはならない。でも二次会ともなると、行く人が限られる。だから、ほぼ必ずといってよい程退出。二次会以降に参加したのって退職時だけだったと思いマス。
それ位徹底して、距離感について注意していた。コレはあくまで私にとってそれが合理的だったから、であってそうしろという意味ではありません。参考にして下されば良いというだけです。
とは言え、こうした姿勢は相手との距離感はうみましたが…一方で
誰とも親しくない=えこひいきはない
という事にもつながりやすかった。一部の人以外は、私が注意したとしても好き嫌いでつらく当たっているというとらえ方はしていなかったようです。
むしろ、最初から中盤位までは…
一体、誰が好みなんだ?
と混乱していたみたい。(笑)
実際、親身になって指導や機会を与えていたスタッフがいましたが、一方でダメな時は容赦なく注意(但し一対一の場で)してましたしね。それは誰に対しても同じ。だから、お気に入りと目されていた人が容赦のないダメ出しを喰らっているのを見て…
え?なんで?どうして?
となっていましたし。コレが、ブレないこと。
ここについても、私が周囲に目を張り巡らせていたからこそわかったといえます。仕事上、私のポリシーである
気配り、目配り
を発揮して周囲を観察していたから。今でこそネタバレ的に言えますが、当時は下手に誤解されかねないため…
ナイショ
とはぐらかしてました。
但し、反省点もあります。実際には性格が皆違う以上、いくら一律とは言え全員に等しく、厳しくするべきではなかった。その点はこの時、学んだ部分。以降、そうした試行錯誤が続きます。
なので、経験を積む過程で飲み会や親睦会については最初からしばらくは顔を出すことに。自分の性格が充分に知れ渡ったな、と見込みが持てた時点で行かない。そういう線引きをしていました。
これは単純に私が酒好きではなかった(飲めないではない)から、というのも納得が得られやすいところでした。そうした相手の印象をうまく使いながら、部下との距離感を計る。そういう風にしていましたね。
こうした点が、近づかないこと。つまり距離感の問題。近くなりすぎると全体像が見えなくなる。リーダーとして、全体をつかんでなければいけない。そうなると、全員が俯瞰できるポジショニングが大事。
こういう”コツ”は、見えないモノなので説明するのが難しい。洞察力に関わってくるため、元から持ち合わせているのは別として、トレーニングによって身に付けるしかないと思う。
しかし、こうした教育がほぼされてない日本では…とにかく周囲を見るのが
バランスをとる
という言葉に置き換わる。これでは、全然意味がないのです。
実際、私が部下だった際にリーダーだった人が…
バランス型
と思しき人でした。但し、このバランスが
ことなかれで丸く収める
という方に行き過ぎていた。コレは問題です。そしてこういうタイプの人が、日本的組織だと非常に多い。
歴史上でも、丸く収めるという手段が機能するのは…
普段のケジメが厳然としてある
からです。だからこそ、こういうケースはイレギュラーとして受け入れられやすくなる。だが、普段からそういう事ばかりしていたらどうなるか?
あわよくばうやむやにできる
と思われるだけ。だから、組織やグループとしての質がいつまでたっても高まらないのですよ。
実際、歴史的な事実としてもこういう事がありました。王様が即位した際、臣下に
どうやったら国民に信頼されるだろうか?
と問いかけた。家臣は、
約束を必ず守ることです
と答える。それだけならありふれてますね。が、このケースではその先がある。軍事教練を行う際、指定された日時に集合を命令。出遅れたものは
軍法に照らして死刑
とした。はじめが肝心なのと、自分の命令をシッカリと守らせることが目的でいきなり厳しくしたのですよね。
で、自分のお気に入りの家臣が遅刻してしまった。当然、死罪にされる。担当官も執行を提言。その際この王様、どうしたと思いマス?
涙を流しながら処刑させた
のですよ。これ、歴史に記録されている事実です。
それにより、臣下たちは
あのお気に入りでさえ処刑された、俺たちなら…
と思ったのでしょう。それ以後、命令をしっかり守って王様のいう事も聞くようになった。お気に入りの家臣を処罰することで、分かりやすくアピールに成功した訳ですね。
こうしたことは現代では起きませんが、私が参考にしたのがココ。要するに
親疎を作らず、親疎によって曲げない
という点。分かりやすく示し続ければ、少なくともえこひいきとはみられない。いざという時、一つの信用だけは確立できるな、と。そう考えて貫いていたのです。
それでも、そうしたことがどうしても理解できない人もいる。それは今なら、無理に理解させる必要はないと分かります。そういう人たちの場合、当人にとっては不幸ですが
そういう経験値のないままに、ある程度年を重ねてしまった
から。残酷ですが、年が上がれば上がる程、一度作られた本人の価値観は変わりません。だから、無理に相手する必要もないと思いマス。
また、私は年齢などプライベートに関して自分から相手に聞いたことは一度もありません。年齢によって態度を変えたくないし、それは子供のころからそういう大人を嫌がっていたから。自分が長じたら、態度を変えるなんてありえない。だから、年下だろうが年上だろうが態度を変えませんでした。
それは即ち、目線を常にフラットにおくこと。だからぶっちゃけると、柔軟性の高い若い世代の人たちとの方が、正直やりやすかったですね。彼ら彼女らは、こちらのシンプルな姿勢を余計なことを考えずに受け入れてくれたから。中にはタメ口をきいてくる子がいましたが、私は全く気にしてない。そういうのを見て、彼ら彼女らも
ホントにそうなんだ
と分かってくれた。
いろんな世代の人たちとリーダーとして、同僚として、時には部下として接してきたからこそ、自分のブレない態度は今でも活きていますね。プライベートでの振る舞いも年齢なんざ、全く関係ないし。今後もそういう考え方でいる限り、自分の柔軟性は担保されていくだろうと思えます。だから、人望なんて必要ないのですよ。
いぢょー。