歴史的視点から見た、日韓対立の真因。
個人的にはコリアンと直接交流もあったので、残念。とはいえ冷静にこれまでとこれからを考えた方が良いのも事実。私自身がリサーチした歴史的事実を絡めながら書いていきたいと思います。
まずこの問題点として、韓国の日本に対する価値観がいったいどういうモノなのか?から入らないとずっとお互いのズレを解消することはできないと思います。まず、民間レベルはともかくとして、政治レベルでは
韓国が格上という歴史的感覚がぬぐえない
のだと思う。これは、歴史を紐解いていくと納得のいくことが多かったですね。
私が対馬・宗氏の対外外交に関する書物を読んだ時に、ナルホド!と思う点が多かった。それは以下の通りです。
1:宗氏は朝鮮王朝との貿易利権を確保するために、ずっと外交交渉を行ってきた長い歴史があること。
2:その中で、貿易の利権を拡大するために、日本国王の名目も活用していたこと。
3:朝鮮王朝側も真相はある程度把握していたようだが、あえて表ざたにせずに付き合ってきたこと。
大きく分けると三つに大別されます。
ここで今日に直結する部分は2です。ここが重要。この事実についてはこの図書の内容を読んでいてヤッパリな、とは思いました。戦国時代に貿易の利潤を維持・拡大するためにフルに名目を利用していた。
私としてはこの点が分かったので、あの秀吉の朝鮮出兵がなぜあそこまで杜撰な結末に至ったのかも全部謎が解けました。それは情報を正しく管理できなかったからですが、その原因がここ。
秀吉は朝鮮王朝に対して中国・明に征服戦争を挑むから味方につけ、と外交交渉を持ちかけようとした。その窓口に対馬・宗氏を選んだ訳です。
しかし宗氏にしてみれば、貿易の利権拡大のために武力をちらつかせることはあっても、まさか明への戦争を仕掛けるためにこちらにつけ、という事態を想定したことはなかった。この事態が進めば自分たちが先祖代々得てきた貿易の利権など全部吹っ飛ぶ。だから、隠蔽に走った。
宗氏が朝鮮王朝に対してあからさまな寝返りを打つわけにもいかないのは、あくまで対馬は日本の武家社会の一員、という枠組みがあってこそだから。朝鮮王朝に属さないからこそ、貿易という形態でもって利益が得られる。
これにより、宗氏は真相を伝えずして朝鮮王朝側が備えるか、本当に秀吉側に付く決断をしてくれるか、といった期待をしたんでしょう。しかし日本から侵略を受けた実績がほとんどなく、宗氏側のゆさぶりと見たのかもしれない。結局、偵察も兼ねて使者は派遣しよう、となったようです。
宗氏は、その真意を秀吉に伝えてなかった模様。だから、秀吉からすればやっとこちらにつく決意をしたか!と思ったら全然話が通ってない。しかもそのことを自己弁護する宗氏。情報の共有がないままに、お互いのズレを解消できず、戦争が起きてしまったんですね。
ここでの問題は宗氏だけのものではありません。現代なら宗氏が嘘ついてたから!と”炎上”しそうですが、秀吉も当時の国際秩序の常識などもあまりよく知らなかったようです。よって、さまざまな要素が悪く作用した、と私は解釈してます。
これを修正したのが徳川家康。この際にも、宗氏に関係修復を一任。秀吉が無茶な要求を通そうとしたから、という事は分かっていたのでしょう。また、家康には外と事を構える意図がないため、友好関係を樹立しておくことを優先。そのため宗氏に委任したようです。
そのため、宗氏は旧来の
朝鮮王朝が中華秩序で上、日本は下
というあちらのメンツをうけいれ、その見返りとして答礼の使者を派遣するように交渉をまとめた。だから、朝鮮通信使は日本国内では
朝鮮王朝が徳川将軍に使者をよこした
となってますが、あちら側では
日本国王として認める使者を派遣してやった
となる訳です。全然解釈が逆なんですね。
これが、明治時代に問題になります。明治維新によって近代国家への道を歩もうとする中で、朝鮮半島についてもかなり重要になってきていました。
というのも、国防という観点からすればその防衛線がどこになるか?だから。そこで、朝鮮半島が味方となっていれば、朝鮮王朝を支援しつつ日本の防衛線も北に押し上げることができる。
しかし逆に拒絶されれば、防衛線は対馬海峡になる。清・ロシアといった国が日本に敵対した場合、かなり自国に近い地域から防戦しなければならなくなる。まだ国として生まれ変わったばかりの日本にとってはかなり厳しい状況に。だから、朝鮮王朝に対して最低限敵対的な立場をとらないでほしかった。
しかし、その交渉をいくらしようと思っても、過去の外交先例によって
こちらが上、そちらが下
という立場を変えようとしない。人間関係でいえば、
後輩と思ってた奴が、ある日いきなりタメ口になる
みたいなもの。そりゃアタマにくるでしょう。(笑)
しかし、ここで大事なのは朝鮮半島を取り巻く状況を正確に把握すること。本来であるならば、中華秩序がアヘン戦争によってほぼ崩壊し、西欧列強の価値観が当時の歴史の主流になっている。この事実をきちんと把握しておくべきだったと思います。
でも、この点を朝鮮王朝の支配層は正確に把握していなかったのでしょう。仮に把握していたとしても、明治維新の内容が
四民平等
など、西欧社会の価値観を受け入れたものだったので、両班(ヤンパン)といわれる身分社会を長らく維持してきた朝鮮王朝側からすれば、その価値観すら脅かすとんでもない存在。そういうところと手を結べるか!ということにもなったでしょうね。
だからこそ、中華秩序に基づいて清に頼ることでこの難局を乗り切ろうという事大派と、開化派に分かれた。事大派に貴族層が多いのは当然ですね。
日本としては、征韓論がおこったりもしましたが、外交交渉以前に日本の姿勢そのものを認めようとしないため、という背景もあって起こったことだと思います。結局、途中端折りますが最後は韓国併合にまで行きついてしまう。
この後、日本が行ったことは日本国内同様、学校制度を導入して教育を施し、産業育成のための投資を行う事。これは日本の国益にもつながるから行ったことで、朝鮮半島の経済発展が進めばその分、支配する日本へのリターンがくるから。これについてよいことした、と正当化する人もいるかもしれませんが、根っこはこちらの国益にもつながるから、という事も併せて忘れてはいけないと思います。
ただ、この流れの中で二つに分かれることになります。それが今につながっているのでは?と思う、
政治を担うエリート層と一般民
での対日観の違いではないでしょうか。
直接のつながりがあるかはわかりませんが、韓国の政治エリートはなぜ侮日や日本たたきをするのか?を考えると
歴史的経緯まで知っているから対等という事を受け入れない
のではないかと思う。一方、比較的豊かでない人たちからすれば、それまでの社会構造では自分たちが浮上する機会が得られにくかったため、日本の歴史的経緯より明日の飯。だから、日本に対してどうこう、という感覚が薄い。おそらくこれが、韓国国内のダブルスタンダードなんだと思っています。
実際、私は留学時代に多数のコリアンにあってますが
世代が若ければ若い程フレンドリー
でした。で、その際に
ウチの年上連中がうるさくてさ・・・
と、心ならずも日本たたきのフリすらしなきゃいけない、と嘆いていた。むしろ中国人の方が日本人に対して侮辱的だった人もいたので、コリアンに対しては悪い印象って持ちづらい。
こういう事情からみると、現在の韓国の政治パターンの中で日本たたきは
元手いらずの打ち出の小づち
として扱われていたと推測しています。それが日本の保守右派、といえる人たちがそれまでの対韓外交への不満を逆用する形で使っている。だから、今のこの状況に行きついてしまった。
私が最低限、気を付けてほしいなと思うのはこういう経緯と思惑を知っておき、その上で感情的な反感を持たないでほしい点。むしろ反感を持つべき対象は
それまでこういう流れを放置してきた連中
なのですから。向ける相手を間違ってはいけない、というのが結論です。