ジョーカー2 感想 | 不気味でない「不気味」

先日、公開中のジョーカー2を視聴した。
日本では公式すら「全世界賛否両論」と売り出しているだけあって、首を傾けてしまう内容だった。私が考えたことを書き殴る。

総評:不気味感はあるものの……

・前作は、「どこまでが現実でどこからが妄想なのか」という線引きが掴めないところが不気味で魅力だったと言えるだろう。
・一方で今作は、各シーンが現実なのか妄想なのか一目瞭然だった。
・ミュージカル風など、妄想の内容自体を不気味に演出しようとしていた。
・二番煎じを避けたかったのはわかるが、前作の最大の魅力が0に……?
不気味感があるだけで、実際そこまで不気味かどうか。私にとっては、不気味ではない不気味かな。

個人的で小規模

・そもそも前作から個人的だったかのように見えるという説はさておき。
・それでも前作ではアーサーの個人的な苦しみが「事件」「テレビ放送」の二つを通じて抽象化され、それが人々に伝染した。すなわち一人の抱えていたものが他の人のものとつながり、拡大されていった。
・一方で今作は、終始個人的な話。大衆のジョーカーへの信仰はあるもののその狂信ぶりは様子しか描かれていなかった(出来事ではなくて)。
・また収容所・裁判所の閉鎖的な空間のシーンが大半。アーサーの妄想のショーでは比較的大掛かりなセットではあったが、うーん。

前作との関係

・前作は「司会を殺して悪のカリスマジョーカーになった」というラストすら事実か妄想かわからないまま幕を閉じた。
・引き際として、そしてアーサーの抱える闇の描写として最適な終わり方だったと思うが、今作の存在でそれが「事実だった」と確定してしまった。
・2作目が発表された時点で品があった終焉を掘り返すような行為だとは思っていたが、まさか(実写の)冒頭から確定する描写が描かれるとは……。

キーアイテム「銃」の不在

・前作でキーアイテムとして扱われた拳銃。同僚からもらったその凶器からジョーカーの殺害は始まり、そして終わった。あれ、でも今回銃は?
・リーが妄想上のショーの際、アーサーに向けたくらいでは?
・ジョーカーのメイクだけでは、アーサーはジョーカーにはなれなかった。銃があったからこそ彼はジョーカーになったのに。一度くらい本人が握りしめても良かったかなあ、。
・それに、殺人の心理を描いている作品、仮にもDC映画作品である以上主役が武器を使うシーンくらい描いて欲しかった。
・でも子分みたいなやつの死でもオチでも武器はなかったし意図的に避けてるんだろうが、。

制作陣の言う通りミュージカルではない

・ミュージカルにおいて歌は、その歌詞もある種のセリフでストーリーの進行の役割も担う。
・一方で今作において歌は、心情、状況の表現方法の一種として使われている。
・歌が多いというのはストーリーの停滞という意味でも不満は出るのは当然かなあと。

それでも魅力はたくさんあって

・色々と書いたものの、いいところもたくさんあった。年代を感じる音楽はどれもどこか魂を揺さぶるものはあり、同じ曲でもシーンによって発声や歌い方がまるで違ったのには役者の技量を感じた。
・タバコの使い方がおしゃれすぎる、憧れ。

メッセージ:前作の否定

・前作では、何者でもないアーサーがジョーカーへと変貌した。
・しかし今作ではそれを否定した。結局アーサーは何者にもなれない。ジョーカーというお面は簡単に剥がれる。ジョーカーはアーサーの手から離れて象徴として独立する。そしてそこに残ったアーサー自身は無価値な道端の石ころに過ぎず、無視される
前作で俺もジョーカーだぜ、と思い上がったファンたちにお灸を据えようというのがメッセージだったのかな。それだけのためにお金使いすぎじゃない? とも思うけど。
・アニメーションでそれを初っ端から全部開示するのはどうなのかなとも思いつつ。
・牢獄で交わるシーンでリーがジョーカーのメイクをさせたのはグロテスクすぎた。端的に表現していた、アーサーはやっぱり、何者でもない。

おしまい

生意気に殴り書きをしてしまいましたが、こんなものかなあ、と。
では。

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