地元の商店街にて 厚切りポークの彼女
秋の風が街を抜ける音が、何となく耳に心地よかった。休日の昼下がり、僕は地元の商店街を歩いていた。少し冷え込む空気にジャケットの襟を立て、ランチを求めてさまよう。この街にはもう20年以上住んでいるが、こうして気まぐれに歩くのも悪くない。見慣れた店々の間に、何とも気取らない店構えのカレー屋がぽつんと現れたのは、まるで本のページをめくる瞬間のようだった。
「こんな店あったかな」と、思わず独り言が漏れた。シンプルな木製の看板に手書きで「ポークカレー専門店」と書かれている。扉を押すと、カランと小さなベルが鳴った。店内は驚くほど静かで、秋の日差しが窓から斜めに差し込んでいる。カウンターの向こうに立っていたのは、30代くらいの美しい女性だった。後ろで束ねたヘアが少し揺れ、エプロン姿が妙に似合っている。
「いらっしゃいませ」と彼女は微笑んだ。その笑顔は、都会の喧騒からふっと解放されるような不思議な安心感を与えるものだった。
「ポークカレーを一つ」と僕は注文した。それ以外の選択肢はなさそうだったし、それで十分だった。
しばらくして運ばれてきたカレーを見て、僕は思わず感嘆の声を漏らした。これまで見たことがないくらい厚切りのポークが、カレーの上に堂々と鎮座しているのだ。ナイフが必要かと思ったが、フォークを入れると驚くほど柔らかく、ほろりとほぐれる。
「驚きましたか?」
彼女の声に顔を上げると、そこには少し得意げな表情があった。
「ええ。こんな厚切りポーク、見たことありません。何か特別な調理法でも?」
「秘密です。でも、煮込む時間だけはちょっと長めですね。お客さんも同じでしょ?」
「僕がですか?」
「建築家って聞こえたんです。じっくり作る仕事なんでしょう?」
少し照れくさくなりながらも、僕は思わず笑ってしまった。この女性、見た目のキュートさだけでなく、芯の強さが滲み出ている。彼女の言葉にはどこかしら温かみと機知がある。
「そうですね。煮込む時間の大切さ、改めて学びましたよ。建物も、カレーも、急いで作るものじゃない。」
彼女はその言葉に小さくうなずき、ふっと目を細めた。僕はポークカレーを一口運び、スパイスの香りと肉の旨味をじっくり堪能した。どこか懐かしいような味だった。まるで、この秋の日の商店街での偶然がすべて計算されていたかのようだ。
「おかわりが必要なら、言ってくださいね。」
「十分満足しています。でも、また来る理由が増えました。」
そんな他愛もないやりとりが続き、気がつけば外の陽射しが少し傾いていた。僕は心地よい満腹感とともに、店を後にした。この偶然の出会いは、秋の日の静けさと調和し、不思議と心に深く刻まれたのだった。
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