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台風と彼女とバスマティライス

台風が来る日には、いつも独特の空気が漂う。風が窓を叩きつけ、雨が暴れまわる音が、僕の小さなアパートの壁越しに微かに響いてくる。世界が一時停止したような感じだ。外には一歩も出られない。そんなとき、僕はバスマティライスの袋を取り出して、炊飯器にセットする。

バスマティライスは細長く、どこか異国の風景を思わせる香りがある。日本米とは違う、その軽やかな食感と風味が、僕には心地よい。世間では米不足が囁かれているが、僕には関係のない話だ。ベンガルカレー教室に通っていたおかげで、バスマティライスが家に山積みだからだ。もっとも、教室で習ったカレーは一度も作らず、実際に僕が食べるのはいつもレトルトカレーだけれど。

レトルトのチキンカレーを温めている間、ふと彼女のことを思い出す。彼女とは以前、一緒に暮らしていた。今も台所に立つ彼女の姿が、ふとした瞬間に目に浮かぶ。彼女はバスマティライスを炊くたびに「また在庫が減るね」と笑って言ったものだ。何度も聞いたその言葉が、今でも頭の中でこだまする。

あの頃、台風の日も二人で過ごしたものだ。風の音や雨の打ちつける音を聞きながら、窓の外の世界とは別の時間が流れているような気がしたものだった。彼女はいつも、そんな日には特別なカレーを作ろうと提案していた。「次はベンガルカレーでも作ってみる?」と、軽い調子で言っていたが、実際にはほとんど作らなかった。それでも、そんな会話が僕には心地よかった。

窓の外で風がさらに強まり、木の枝が大きく揺れているのが見える。彼女といた頃の静かな時間が、今の僕の中で繰り返される。僕は湯気の立つチキンカレーの皿をテーブルに置き、一人で座る。台風の夜、バスマティライスとレトルトカレー。そして、彼女のいない食卓。

外は嵐でも、ここには静寂が広がっている。彼女との時間が過ぎ去っても、僕の中に残る小さな記憶の断片が、まだこの部屋に漂っているようだ。雨が叩きつける窓の向こうに、何か特別なものがあるわけではないけれど、その記憶の中にいると、今も不思議な安心感がある。

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