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雨と猫と彼女とカレー

天満の街を歩いていると、涼しい秋風が僕の頬を撫でていった。秋の休日だ。ふとランチに何を食べようかと考え始めた頃、空模様が急に変わり、雨がぽつりぽつりと降り始めた。ああ、傘を持ってくるのを忘れてしまったな、と少しだけ後悔した。

そのとき、ふと足元に気配を感じて振り向くと、白と茶色が混じった猫がこちらをじっと見ていた。その目には何か不思議な輝きがあって、まるで「こっちだよ」と手招きするように僕を誘っている気がした。猫の後をついていくなんて、ちょっと不思議な気分だったが、ここまで来てしまったら、やはりついて行くしかない。

猫は静かに歩き始め、僕はその後をついて行く。気づけば、僕たちは古びたビルの前に立っていた。猫は振り返りもせず、軽やかにビルの階段を上がり始める。その姿が、なぜかとても堂々としていて、僕は「猫ってこんなにも決然と歩くものなのか」と思わず感心した。

ビルの二階で猫が足を止めた。目の前には「ベンガルカレー」の文字が書かれた小さな看板がかかっているドアがあった。猫がここへ僕を導いたのだと思うと、妙に感慨深いものがある。意を決してドアを開けると、ほんのりスパイスの香りが漂い、僕は一瞬で食欲が湧いてきた。

店内には誰もいない。カウンター越しには、丸顔で愛嬌のある30歳くらいの女性が立っていた。どこか母性的な、けれども茶目っ気も感じる、その不思議な存在感が僕を安心させた。

雨と猫と彼女とカレー

「ようこそ、雨の中ご苦労様です」と彼女は微笑んだ。その笑顔には、見知らぬ客に対する垣根など微塵もなく、まるで古い友人に迎えられたような気持ちになった。僕は軽く礼をし、カウンターに腰を下ろした。

「ベンガルカレーとハイボールをください」と注文すると、彼女は「いい選択ですね」とニコリと笑った。

カレーが運ばれてくる間、彼女とたわいもない話を交わした。彼女はこの店を一人で切り盛りしていて、店を始めてからもう五年経つという。その間、いろんな客と出会い、いろんな会話を楽しんできたらしい。その話を聞きながら、僕はふと、ここがどこか別世界のように感じた。この雨の中、猫に導かれてたどり着いたのも、きっと偶然ではないのだろう。

やがてカレーが目の前に運ばれてくると、そのスパイスの香りが鼻をくすぐり、思わず顔がほころんだ。僕は一口カレーをすくい、口に運んだ。スパイスが絶妙で、辛さの奥に深い旨みが広がる。この一皿のカレーが、僕の中の何かを満たしてくれるような気がした。

食べ終わる頃には、外の雨もすっかり止んでいた。僕は最後の一口のハイボールを飲み干し、彼女に「ごちそうさまでした」と言って席を立った。ドアを出ると、あの猫はもういなかったけれど、今日の出会いを心から感謝した。秋の雨の日と、猫の招きに導かれて辿り着いた、静かでスパイシーな午後。

ビルを降りながら、ふと天満の街に溶け込む自分が少しだけ愛おしくなったのだった。


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