モザイクの向こう側が見たくて【「秘匿捜査」レビュー】
※上のイラストは「ハコヅメ」7巻kindleの位置No.139より引用
突然だが、皆さんはモザイクの向こう側を見たくなったことはあるだろうか?
恥ずかしがることはない。隠されたものをどうしても見たくなるというのは人間の性というべきものである。秘密は人間の想像力を掻き立てる。
例えば、ミロのヴィーナスは両腕を失っていたからこそ美しい、という話は有名である。失われた両腕はいわばその歴史の中に隠された秘密であり、存在すべき無数の美しい腕への想像を掻き立てるのだ[1]。
つまり、モザイクの裏側のあれこれを想像するのは、ミロのヴィーナスの失われた両腕への憧憬と同じである、という事だ。決して劣情を催しているわけではない。美しさへのあくなき探求心が我々にモザイクの向こうを想像させるのである。
そんなわけで、本日の記事は美しさを追い求める求道者のような心を以てして書き綴っていこうと思う。皆様におかれましても心して読んでほしいと思う。
モザイクがかかる警察官
今回私が、スケベ心美への探求心により、その向こう側を見たいと思ったのは「ハコヅメ」という漫画[2]のあるワンシーンである。
かつての警察学校の教官が退官する、という事で、そのお祝いをするため昔の教え子である同期一同が集まった。
警察官として活躍する中で、警察学校時代から大きく変わった同期達。
なるべく陰気に生きる者や、
ヤクザよりヤクザっぽくなった者まで。
そんな中……
これである。
このモザイクの向こう側、気にならないだろうか?
警察官にモザイクがかかることある?アレってなに!?
このハコヅメという漫画は、地方県警の警察署を舞台とした物語であるのだが、一番の特色は作者の前職が本物の警察官であることだ。
そのため、この漫画にはリアルな警察のあるあるネタが数多くちりばめられている。
そんなバキバキリアルな警察漫画にこのシーンが出てくるのである。こんなん実在するの……めちゃくちゃ気になるじゃん。
そんなわけで、惜しくもモザイクでおおわれてしまった、この公安警察という存在に焦点を当てていきたい。
警視庁を出入り禁止になった記者が発表した本
それにしても、そもそもこの公安という組織、それ自体がベールに包まれている。
それを受け、我々は調査隊を編成、ジャングルの中に歩を進めた……という事は一切なく、基本的には私は家から一歩も出ないし取材もしない。
なぜなら、すでに入念に取材され公開された著書がこの世にあるからである。それが次のタイトルだ。
こんなうってつけの本があるだろうか?
それだけではない。下記のyoutubeチャンネルでインタビューに答えている元公安警察とされる人物の話によると、この「秘匿捜査」の著者はTBSの記者なのだが、公安警察の取材を丹念に行って執筆したこの本を発表したがために、警視庁を出入り禁止になったらしい。
そんなわけで以下、「秘匿捜査」[3]を引用しつつ、「ハコヅメ」で登場した公安警察のモザイクで覆われていた姿を明かしていこう(※1)。
公安警察の活動
そもそも公安とは何か?それは「公共の安全」の略である[3]。彼らは公共の安全を守るために、様々な危機に対して情報取集を行っている。具体的な活動としては、極左暴力集団や過激な宗教団体、国家転覆を図るテロの危険性がある団体の監視などが挙げられる。公共の安全を守るためにあらゆる危機に目を光らせるのが公安警察であるといえるだろう。これらの任務の性質上、公安の警察は捜査活動よりも情報収集、摘発よりも未然防止を最優先に職務を遂行している。
また、カウンターエスピオナージ(防諜)も公安警察の任務の一つである。この「秘匿捜査」では、防諜の任務につく警察官をスパイハンターと称し、彼らがロシアなどの諸外国のスパイ活動に対抗する様子を取材している。
この本ではロシアのスパイによってエージェント(情報提供者)となってしまった多くの日本人が登場する。それも割と重要な地位にいる人ばかりである。例えば、大手光学機器メーカー「ニコン」の研究員は自らが開発した当時最先端の光学機器をロシアのスパイに渡してしまっている。また、大手総合電機メーカー「東芝」の子会社に勤務していた社員が半導体に関する機密資料を、やはりロシア連邦通商代表部所属と名乗ったロシアのスパイに漏洩させてしまっている。彼らは根っからの裏切者ではなく、セキュリティのリテラシーが足りなかったとはいえ、自覚なくロシアのエージェントに仕立て上げられてしまった人たちだ。
スパイがターゲットにしているのは民間企業だけではない。なんと内閣情報調査室や防衛庁といった国の中枢の官僚たちまでもが、スパイの毒牙にかかっている。国の機密の漏洩が与える影響は、民間企業のそれ以上である。スパイ達はエージェント候補である日本の官僚に警戒されないよう大衆的な居酒屋やレストランで会食を重ね、時に脅し、時になだめすかし、硬軟織り交ぜたテクニックでターゲットを篭絡する。
一度教育されたエージェントは半ば追い詰められ、あるいは自発的に国家の機密に関わる情報を外国のスパイに渡してしまう。これは非常に恐ろしいことだ。例えば自衛隊の作戦行動の訓練手順が流出してしまえば、いざとなったときに敵からは手の内がばれていることになるのだ。また、軍事以外の情報でもダメージは計り知れないだろう。
そのような事態を防ぐために職務を遂行するのが、スパイハンターである公安警察である。
公安警察のテクニック
公安の警察官はその職務の性質上、特殊な技能が必要になる[3]。
例えば、おびただしい人々の中から目的の人物を見つけ出す技能が、公安警察では必要になる。
とんでもない職人技である。この本で取り上げられた出来事は今から20年程前のものなので、必ずしも最新の情報ではないが、彼らの職業がいかに特殊かが分かる。
また、スパイとして来日する者たちは、尾行されていないかどうか確認するために「点検作業」という動作を頻繁に行う。例えば、「目的以外の駅で電車を降り、尾行者がいないか確認する」、「レシートをわざと落とし、それを拾うものがいないか遠くから確認する」などである。
それに対抗するスパイハンターは様々な手段を使って対象の尾行を行う。
さらに、公安職員が尾行に気を付けて「点検作業」を行う事もある。「秘匿捜査」の著者が元公安捜査員のX氏と昼食を共にしたときの描写がある。
尾行の技術もさることながら、自分の子供を追尾対象者に疑われないための小道具とするのはあまりにすさまじい執念である。この一事からも、公安警察の仕事の苛烈さが垣間見えるようである。
公安警察の見た目
では、お待ちかね、「ハコヅメ」のモザイクの向こう側、公安警察がどのような姿なのかを予想していく。
まず、「秘匿捜査」の公安の警察官の外見の描写を見てみよう。
また、スパイの情報受け渡しの瞬間を捉えた際には次のような描写もあった。
本著に登場した公安の各警察の外見も描写されている。何人かピックアップしてみよう。
彼らは見た目には目立つ特徴はなく、また目立つような行動をしない。できるだけ印象を残さないようにするために、平均的な行動を好むように思える。それはこれまで述べた公安職務の特性と照らし合わせても矛盾していない。
モザイクの向こう側の公安の彼
今までまとめてきた事から、「ハコヅメ」に登場した公安警察の彼は、極めて目立たない格好をしているのだろう。一番ありそうなのはサラリーマン風の格好である(「秘匿捜査」でもサラリーマンを装う警察官は何度か登場する)。
しかし、それならばなぜ、「ハコヅメ」で公安の彼が登場した時に、同期の皆が唖然としたのだろうか?
考えられるのは次の2点ではないか、と思う。
①極限まで目立たない格好がかえって公安らしさを際立たせていた
②(尾行を巻くためなどの)仕草が公安らしさを際立たせていた
①について、これまで見てきた通り、公安の警察官は尾行対象に気取られないことに心血注いでいると言っていい。諸外国のスパイと渡り合うため、寝食を忘れ、家族との時間を捨て職務遂行せんとする公安の凄まじさが、極限まで目立たない格好から見て取れたというのはあり得そうな話だ。(同期として集まった警察官であれば公安が何を職務としているのか、少なくとも一般人よりは詳しいだろうから、余計に凄まじさを感じたのかもしれない)。
②について、公安の警察官は対象を尾行する一方、自らにも尾行がついていないか確認するために「点検作業」を行うことがある。そしてその様子はある種病的とも言えるほど神経質なものである(予定の一駅前で降りたり、待ち合わせた相手に目配せのみで店内に促したり)。「ハコヅメ」で登場した同期たちは優秀な警察官であるため、細かい仕草が尾行を巻くためなどのテクニックであると気がつき、ドン引いたのかもしれない。
つまり、これらをまとめると、このシーンのモザイクの向こう側では、警察の同期生のはずが、まったく警察っぽくない(おそらくサラリーマン風の)格好でやってきて、何やら神経質な仕草をしていたのではないだろうか?
もしそうだとしたら、確かにげんなりするかもしれない。警察官として同業であるから、なおさら細かいことに気が付くのであろう。
まとめ
以上が、私のスケベ心探求心から端を発した調査の結果である。いかがだっただろうか?
今回の記事を作成するに当たって、私は警視庁も取材せず、ジャングルにも行かず、ただ単に本を一冊読んだだけであるので、まあ、普通にモザイクの彼の格好については間違った予想をしているかもしれない。だが、この記事は私のスケベ心崇高な知的好奇心によるリサーチの足跡として、価値があるものになったと思う。何かしらの参考になれば幸いである。
備考
※1. 本から得た謎を本で解き明かす。どこまでもインドアな活動である。
参考文献
1. 清岡卓行「手の変幻」講談社文芸文庫. 講談社
(引用したのは本書に収録されている「失われた両腕 ミロのヴィーナス」というエッセイ)
2. 泰三子「ハコヅメ ~交番女子の逆襲~ 7巻」モーニングコミックス. 講談社
3. 竹内明「秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの真実」講談社文庫. 講談社
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