見出し画像

モザイクの向こう側が見たくて【「秘匿捜査」レビュー】

※上のイラストは「ハコヅメ」7巻kindleの位置No.139より引用

 突然だが、皆さんはモザイクの向こう側を見たくなったことはあるだろうか?

 恥ずかしがることはない。隠されたものをどうしても見たくなるというのは人間の性というべきものである。秘密は人間の想像力を掻き立てる

 例えば、ミロのヴィーナスは両腕を失っていたからこそ美しい、という話は有名である。失われた両腕はいわばその歴史の中に隠された秘密であり、存在すべき無数の美しい腕への想像を掻き立てるのだ[1]。

NakNakNakより提供されたPixabayの画像を引用

 つまり、モザイクの裏側のあれこれを想像するのは、ミロのヴィーナスの失われた両腕への憧憬と同じである、という事だ。決して劣情を催しているわけではない。美しさへのあくなき探求心が我々にモザイクの向こうを想像させるのである。

 そんなわけで、本日の記事は美しさを追い求める求道者のような心を以てして書き綴っていこうと思う。皆様におかれましても心して読んでほしいと思う。

モザイクがかかる警察官

 今回私が、スケベ心美への探求心により、その向こう側を見たいと思ったのは「ハコヅメ」という漫画[2]のあるワンシーンである。

 かつての警察学校の教官が退官する、という事で、そのお祝いをするため昔の教え子である同期一同が集まった。

ハコヅメ7巻kindleの位置No.130より引用

 警察官として活躍する中で、警察学校時代から大きく変わった同期達

ハコヅメ7巻kindleの位置No.134より引用

 なるべく陰気に生きる者や、

ハコヅメ7巻kindleの位置No.135より引用

 ヤクザよりヤクザっぽくなった者まで。

 そんな中……

ハコヅメ7巻kindleの位置No.139より引用
ハコヅメ7巻kindleの位置No.140より引用

 これである。

 このモザイクの向こう側、気にならないだろうか?

 警察官にモザイクがかかることある?アレってなに!?

 このハコヅメという漫画は、地方県警の警察署を舞台とした物語であるのだが、一番の特色は作者の前職が本物の警察官であることだ。

泰 三子
某県警に10年勤務。2017年、担当編集者の制止も聞かず、公務員の安定を捨て専業漫画家に転身する。短編『交番女子』が掲載され話題になっていた「モーニング」誌上で、2017年11月より『ハコヅメ ~交番女子の逆襲~』の週刊連載がスタート!
Amazon「ハコヅメ~交番女子の逆襲~(1)」の商品紹介ページに記載されている著者についての説明(https://amzn.asia/d/bVsZNDw)

 そのため、この漫画にはリアルな警察のあるあるネタが数多くちりばめられている。

 そんなバキバキリアルな警察漫画にこのシーンが出てくるのである。こんなん実在するの……めちゃくちゃ気になるじゃん。

 そんなわけで、惜しくもモザイクでおおわれてしまった、この公安警察という存在に焦点を当てていきたい。

警視庁を出入り禁止になった記者が発表した本

 それにしても、そもそもこの公安という組織、それ自体がベールに包まれている。

 それを受け、我々は調査隊を編成、ジャングルの中に歩を進めた……という事は一切なく、基本的には私は家から一歩も出ないし取材もしない

 なぜなら、すでに入念に取材され公開された著書がこの世にあるからである。それが次のタイトルだ。

秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの真実[3]
両親の借金、息子の白血病――数々の困難に打ちひしがれたエリート自衛官が、ロシア情報機関(GRU)に取り込まれた。金をばら撒き、自尊心をくすぐり、協力者の獲得工作を繰り広げるGRUと、警視庁公安部の攻防が始まる! 公安部内に実在する、「ウラ」と呼ばれる男たちの闘いを描く戦慄のノンフィクション!
Amazon「秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの真実」の商品紹介ページに記載されている内容についての説明(https://amzn.asia/d/64bioZg)

 こんなうってつけの本があるだろうか?

 それだけではない。下記のyoutubeチャンネルでインタビューに答えている元公安警察とされる人物の話によると、この「秘匿捜査」の著者はTBSの記者なのだが、公安警察の取材を丹念に行って執筆したこの本を発表したがために、警視庁を出入り禁止になったらしい。

youtubeチャンネル. 丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニー「【公安警察の噂を検証】家族にも仕事はナイショ? 刑事部とは仲悪い? 日本のスパイは世界から笑われてるの?」より引用

 そんなわけで以下、「秘匿捜査」[3]を引用しつつ、「ハコヅメ」で登場した公安警察のモザイクで覆われていた姿を明かしていこう(※1)。

公安警察の活動

 そもそも公安とは何か?それは「公共の安全」の略である[3]。彼らは公共の安全を守るために、様々な危機に対して情報取集を行っている。具体的な活動としては、極左暴力集団や過激な宗教団体、国家転覆を図るテロの危険性がある団体の監視などが挙げられる。公共の安全を守るためにあらゆる危機に目を光らせるのが公安警察であるといえるだろう。これらの任務の性質上、公安の警察は捜査活動よりも情報収集、摘発よりも未然防止を最優先に職務を遂行している。

 また、カウンターエスピオナージ(防諜)も公安警察の任務の一つである。この「秘匿捜査」では、防諜の任務につく警察官をスパイハンターと称し、彼らがロシアなどの諸外国のスパイ活動に対抗する様子を取材している。

 この本ではロシアのスパイによってエージェント(情報提供者)となってしまった多くの日本人が登場する。それも割と重要な地位にいる人ばかりである。例えば、大手光学機器メーカー「ニコン」の研究員は自らが開発した当時最先端の光学機器をロシアのスパイに渡してしまっている。また、大手総合電機メーカー「東芝」の子会社に勤務していた社員が半導体に関する機密資料を、やはりロシア連邦通商代表部所属と名乗ったロシアのスパイに漏洩させてしまっている。彼らは根っからの裏切者ではなく、セキュリティのリテラシーが足りなかったとはいえ、自覚なくロシアのエージェントに仕立て上げられてしまった人たちだ。

 スパイがターゲットにしているのは民間企業だけではない。なんと内閣情報調査室や防衛庁といった国の中枢の官僚たちまでもが、スパイの毒牙にかかっている。国の機密の漏洩が与える影響は、民間企業のそれ以上である。スパイ達はエージェント候補である日本の官僚に警戒されないよう大衆的な居酒屋やレストランで会食を重ね、時に脅し、時になだめすかし、硬軟織り交ぜたテクニックでターゲットを篭絡する。

 一度教育されたエージェントは半ば追い詰められ、あるいは自発的に国家の機密に関わる情報を外国のスパイに渡してしまう。これは非常に恐ろしいことだ。例えば自衛隊の作戦行動の訓練手順が流出してしまえば、いざとなったときに敵からは手の内がばれていることになるのだ。また、軍事以外の情報でもダメージは計り知れないだろう。 

 そのような事態を防ぐために職務を遂行するのが、スパイハンターである公安警察である。

公安警察のテクニック

 公安の警察官はその職務の性質上、特殊な技能が必要になる[3]。

 例えば、おびただしい人々の中から目的の人物を見つけ出す技能が、公安警察では必要になる。

「見当たり」と呼ばれる作業に取りかかると、ウラのスパイハンターたちはまず身長で群衆を選別する。看板、柱の汚れなど、対象の身長と一致する高さの目印に、心の中で線を引き、この線に一致する者の顔だけをピックアップするのだ。
そして彼らはピックアップした人間の「眼から鼻、耳にかけての位置関係や形状」を瞬時に確認する。どんな変装をしても、顔のこの部分だけは変わらない。
…(中略)…
彼らは視線を走らせながら、ひとりひとりの顔を確認するわけではない。…(中略)…まるで高性能デジタル一眼レフカメラのように「バシッ、バシッ!」と静止画にして切り取り…(中略)…その中から対象を発見する。
…(中略)…
熟練のスパイハンターなら、一枚の「静止画」の中に二十人から三十人の集団が一度に映し出されても、零コンマ何秒で照合作業は可能だという。
「秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの真実」[3]p.95-96より引用

とんでもない職人技である。この本で取り上げられた出来事は今から20年程前のものなので、必ずしも最新の情報ではないが、彼らの職業がいかに特殊かが分かる。

 また、スパイとして来日する者たちは、尾行されていないかどうか確認するために「点検作業」という動作を頻繁に行う。例えば、「目的以外の駅で電車を降り、尾行者がいないか確認する」、「レシートをわざと落とし、それを拾うものがいないか遠くから確認する」などである。

 それに対抗するスパイハンターは様々な手段を使って対象の尾行を行う。

車、オートバイ、自転車、徒歩など、対象の移動速度に合わせてあらゆる形で追尾する。これをワンボックス型ワゴン車が支援するのが特徴だ。ワゴン車の荷室には、「自転車」や「衣類」「眼鏡」「帽子」「バック」などが大量に積み込まれている。すべて変装用の小道具だ。自分の子供や飼い犬まで「小道具」として連れてきた者もいる
「秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの真実」[3]p.187より引用

 さらに、公安職員が尾行に気を付けて「点検作業」を行う事もある。「秘匿捜査」の著者が元公安捜査員のX氏と昼食を共にしたときの描写がある。

X氏は相変わらず、尾行者の有無を確認する「点検」のために、一駅前で地下鉄を降りて、待ち合わせ場所にやってきた。目で合図すると、X氏はそのまま、私の十メートル先を歩いて、近くの喫茶店に入っていった。
「秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの真実」[3]p.384より引用

 尾行の技術もさることながら、自分の子供を追尾対象者に疑われないための小道具とするのはあまりにすさまじい執念である。この一事からも、公安警察の仕事の苛烈さが垣間見えるようである。

公安警察の見た目

 では、お待ちかね、「ハコヅメ」のモザイクの向こう側、公安警察がどのような姿なのかを予想していく。

 まず、「秘匿捜査」の公安の警察官の外見の描写を見てみよう。

警察官然とした立ち振る舞いはせず、大声で会話するようなこともない。さしたる特徴もなく、音もなく早足で用を済ませ、扉の向こうに消えていく。...中略...警視庁の公安部以外の部署には、九州や北関東のアクセントが残る警察官が多いが、どういうわけか公安部には標準語の者が多いといわれる。これも素性を隠したがる公安捜査員ならではの特質でもある。
「秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの真実」[3]p.62より引用

 また、スパイの情報受け渡しの瞬間を捉えた際には次のような描写もあった。

二人が居酒屋で封筒を交換する様子が確認された。二人が一杯やっている間に周辺の席に着いたサラリーマン風の男たちは、全員が(公安の)行確員だった。
「秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの真実」[3]p.36より引用
※()内は私が補足した

 本著に登場した公安の各警察の外見も描写されている。何人かピックアップしてみよう。

・警視庁公安部外事第一課第四係 矢島克巳警部(仮名)……鍛えられた筋肉の上に、たっぷりの脂肪。温厚そうにみえる丸顔。薄い色付きレンズの眼鏡が若干威圧的にうつる。

・警視庁公安部外事第一課第四係 吉田竜彦警部補(仮名)......ストライプのネクタイに紺色のスーツ、糊のきいたワイシャツを身に着けている。洗練された身のこなし。スマートなイメージとは裏腹に冷たい光を放つ眼には、強大な自信を漲らせている。

・神奈川県警警備部外事課 羽生啓二警部補(仮名)......対象の尾行中、青いウィンドブレーカーを着てジョギング中の中年男を装う。
「秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの真実」[3]より引用 ※上記は各捜査員の特徴を本書から抜粋し、私の判断で編集した

彼らは見た目には目立つ特徴はなく、また目立つような行動をしない。できるだけ印象を残さないようにするために、平均的な行動を好むように思える。それはこれまで述べた公安職務の特性と照らし合わせても矛盾していない。

モザイクの向こう側の公安の彼

 今までまとめてきた事から、「ハコヅメ」に登場した公安警察の彼は、極めて目立たない格好をしているのだろう。一番ありそうなのはサラリーマン風の格好である(「秘匿捜査」でもサラリーマンを装う警察官は何度か登場する)。

 しかし、それならばなぜ、「ハコヅメ」で公安の彼が登場した時に、同期の皆が唖然としたのだろうか?

ハコヅメ7巻kindleの位置No.139より引用

 考えられるのは次の2点ではないか、と思う。

①極限まで目立たない格好がかえって公安らしさを際立たせていた
②(尾行を巻くためなどの)仕草が公安らしさを際立たせていた

 ①について、これまで見てきた通り、公安の警察官は尾行対象に気取られないことに心血注いでいると言っていい。諸外国のスパイと渡り合うため、寝食を忘れ、家族との時間を捨て職務遂行せんとする公安の凄まじさが、極限まで目立たない格好から見て取れたというのはあり得そうな話だ。(同期として集まった警察官であれば公安が何を職務としているのか、少なくとも一般人よりは詳しいだろうから、余計に凄まじさを感じたのかもしれない)。

 ②について、公安の警察官は対象を尾行する一方、自らにも尾行がついていないか確認するために「点検作業」を行うことがある。そしてその様子はある種病的とも言えるほど神経質なものである(予定の一駅前で降りたり、待ち合わせた相手に目配せのみで店内に促したり)。「ハコヅメ」で登場した同期たちは優秀な警察官であるため、細かい仕草が尾行を巻くためなどのテクニックであると気がつき、ドン引いたのかもしれない

 つまり、これらをまとめると、このシーンのモザイクの向こう側では、警察の同期生のはずが、まったく警察っぽくない(おそらくサラリーマン風の)格好でやってきて、何やら神経質な仕草をしていたのではないだろうか?

 もしそうだとしたら、確かにげんなりするかもしれない。警察官として同業であるから、なおさら細かいことに気が付くのであろう。

まとめ

 以上が、私のスケベ心探求心から端を発した調査の結果である。いかがだっただろうか?

 今回の記事を作成するに当たって、私は警視庁も取材せず、ジャングルにも行かず、ただ単に本を一冊読んだだけであるので、まあ、普通にモザイクの彼の格好については間違った予想をしているかもしれない。だが、この記事は私のスケベ心崇高な知的好奇心によるリサーチの足跡として、価値があるものになったと思う。何かしらの参考になれば幸いである。

備考

※1. 本から得た謎を本で解き明かす。どこまでもインドアな活動である。

参考文献


1. 清岡卓行「手の変幻」講談社文芸文庫. 講談社

(引用したのは本書に収録されている「失われた両腕 ミロのヴィーナス」というエッセイ)

2. 泰三子「ハコヅメ ~交番女子の逆襲~ 7巻」モーニングコミックス. 講談社

3. 竹内明「秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの真実」講談社文庫. 講談社


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集