Vol.162 授業の見方
先週末にタグラグビーの授業を見ました。自分が事前授業をしたということもあったので、みる視点が自分の中ではっきりしていました。
子どもたちはなにを試行錯誤しているのか?
子どもたちが常に意識しているのはどこか?(相手なのか?自分たちなのか?)
教師の働きかけが学びをよりよくしているのか?子どもたちのために働きかけているのか?阻害していないか?
このあたりを中心にみていました。
とにかく一人ひとりの言葉や視線、行動、表情をたくさん見取ることを大切にしました。まずは「すぐに解釈しない」ことを大切に、とにかく「たくさん見取る」です。
ただ、こうやってたくさん見取った後、授業後落ち着いて整理しているうちにきれいに分けて捉えてしまう自分がいます。分断している感じです。
事後研が始まって
「今日はねらい1ではなく、ねらい2というところでの学びの場と捉えた時に、これまでの子どもの学習過程を意識せず、急にルールを教師側から変更したことで、前時から続いてきた『相手の動きに合わせて試行錯誤する』という子どもたちの意識を無くしてしまったのではないか?」
と話しました。
事前授業を終え、部会での本時の検討の際に「もっとタグラグビーらしくパスが飛び交う動きを大切にしてほしい」という意見を受けて、担任の先生がパスが生まれやすいようにルールを変更したところに僕自身心配がありました。
子どもたちの学ぶ過程を意識した変更になっているのか?
どこか教師の理想を押し付けるような形になってはいないか?
それは、子どもたちの考えの筋がはっきりするような働きかけなのか?
結局、子どもたちにどんな試行錯誤が生まれることを願っているのか?
と、思っていました。だからこそ、本時で子どもたちが、ルールの変更によって生まれた新たな自分たちのチームの課題ついて話し合う姿が気になりました。
せっかく、前時までの学習過程で相手を意識しはじめて動き方が変わってきたのにもかかわらず、です。ここがすごく気になってしまいました。
ただ、事後研であれこれ話すうちに、ふと、近くにいた先生が、「でもさ、話し合いのスタートさ、『相手にコート外に追い出される』っていう問題意識からスタートしてたくない?」と話されました。
よくよく見取っていた言葉を遡ってみてみると、そうだったんです。スタートは「相手の動きから」考えはじめていたことがわかりました。
これ、本当に気をつけないといけないなと思いました。僕の思い込みが子どもの学びを見取ることの悪影響になっているなと。話題の中心は「ルール変更の影響を受けて生まれた課題」になっていたと勝手に捉えすぎていたなと。
あらためて見取るときは、そのまま見取ることやすぐに解釈しないこと、分断しないこと、つながりを意識することが大切だなと思いました。
さらに、おもしろいなぁと思ったことは、どれだけ教師が急に働きかけたとしても子どもたちが築いてきた学びの文脈はそう簡単に切り裂くことはできないということです。もしかしたら当たり前のことかもしれませんが、あらためてそう感じました。
うまく見取れていると自信をもっている自分がいたなと反省しました。こうやってふり返りながら、少しずつ、少しずつ積み上げていきます。