
Vol.174 ずっともち続けている「問い」
教師という仕事をしていると、日々多くの問いに直面します。子どもたちと過ごす時間の中で僕は僕自身に問いかけています。
「今、目の前のこの子たちに必要なことは?」
「自分の言葉や行動が、この子たちの学びを広げるのか、それとも妨げてしまうのか?」
その答えを求めて悩みながら歩むのが、教師としての仕事の本質ではないかと感じています。
僕はこれまで、教えるということそのものを何度も問い直してきました。「子どもたちに知識を与え、考え方を示す」ことは確かに教師として重要な役割の一つです。しかし、授業を重ねるうちに、一方的に教えることが必ずしも子どもたちの成長につながらない場面があることに気づきました。むしろ、教えすぎることで子どもたちの考えるきっかけ、動き出す機会を奪っていることすらあるとわかりました。
「教師として必要なことって何なのか?」
この問いをもち続けながら、今思うことは「教師が一方的に答えを伝えるのではなく、子どもたちが自分で考え、気づき、学びを深めるプロセスを支えること」だと考えています。そのために必要な教師の役割は「教える」ことではなく、子どもたちが自らの学びに向き合うための環境を整え、その子に応じた問いかけを通じて思考を促すことにあると感じています。
「この授業は本当に子どもたちにとって意味があるものだっただろうか?」
「もっと他によりよい関わりができたのではないだろうか?」
こうした問いを常にもち続け、ふり返り、学び続け、問い続ける姿勢が大事だと思っています。
…と、書いてきましたが、「その答えを求めて悩みながら歩むのが、教師としての仕事の本質」これがめちゃくちゃしんどいです。ですが、「仕事」だということに気づいてから当たり前だと思うようにもなりました。どの仕事もそんな簡単に「うまくいく」ことってないと思っています。基本的に「うまくいかない」ことばかりだと思います。仕事だからこそ「悩みながら歩み続けるもの」なんだと思います。この「悩みながら」を失ってしまうと、目の前の子にとっても自分にとっても何も生まれない、成長とは程遠いものとなっていってしまいます。
ですが、「悩むこと」はやっぱりしんどいです。どこかにある答えを求めたり、誰かに答えを求めたりしてしまう自分が出てくることもあります。僕が今年度気づいたことは「一緒に悩んでくれる人と一緒に悩みながら一緒に解決へと歩むこと」が大事なんじゃないかなということです。そういう人が身近にいたからこそ、今日まで逃げずに前に進むことができました。
何よりもまず、目の前で起きていることをちゃんと見ること、聴くことはとても大切です。僕にできることは「僕の目でちゃんと見ること、僕の耳でしっかり聴くこと」だと思っています。そこから「どうしよう」「困ったな」と感じたことを誰かと共有するということが大事だと思っています。その共有の仕方も「どうしたらいいですか?」ではなく、「こんな姿を見ました」「聴きました」だから「僕はこうすることが必要だと思うのですが」(相談)とか「他の場面(前の学年の時)ではどうですか?」(情報収集)といった共有の仕方が大事なんじゃないかなと思っています。
結局は、担任としての自分が動くことで解決へとつなげていかないと今後がしんどくなりますし、自分が変わらないと状況が変化しないということの方が多いです。だからこそ、誰かと一緒に悩みを共有するときのスタンスは頼り切るようなスタンスではよくないと思っています。
問いをもち続けながら、よく見ること、よく聴くことを大事に過ごします。いよいよ3学期が始まります。冬休み…体調を崩していたので何もしてないです…