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経済学、はじめました

大学院(歴史学専攻)で東洋史のゼミに入っていた。
東洋史には古代史と近代史を専門とする教授が2人。
秦漢時代をテーマにしていた私は古代史の教授についていたのだが、同じ東洋史ということで近代史の教授(K教授)にもお世話になっていた。

昨今は教授でも自分の研究と講義だけやっていればよいという時代ではなく、大量の校務もこなさなければならない。
役職にでも就こうものなら書類!、書類!!、書類!!!…である。
このK教授が大学の「The大学」の先生といった感じで、研究以外のことはからっきし。
こうして教授の「お手伝い」をすることも院生の大事な「勉強」なのだ。
(しかし、このときの実務的な経験は今にいたるまで凄く役に立っている)

自由奔放なひとで研究調査のためドイツに行ったときにドイツ語を話せないのに散髪のために床屋へ行って「ヒドい目」に遭ったり。
自らの詩集を自費出版で3冊も(!)出したり。
嫌煙の風潮に対抗して、喫煙者たる自身の主張を織り交ぜた自作の小説を発表し、直木賞を取ると豪語したり。
(残念ながら、今日時点で直木賞受賞作家のリストにK教授の名前を見つけることはできない)

あるときは他の先生の乗用車に乗り合いで帰ろうと約束したのだが時間になってもなかなか部屋から出てこない。
「もしかして部屋の中で倒れていないか?」
心配して見に行ってみると最近買ったばかりだというパソコンの囲碁に夢中になっているという…

しかし、なんとも稚気溢れる先生でいわゆる「憎めない」人柄だった。

普段はそんな感じなのだが、研究になると違った。
あるとき資料室で資料を紐解いているときのオーラたるや凄まじく、気圧されてしまった。
ライオンの前で小動物がおののいて固まってしまうのはきっとあんな感じなのだろう。
一度、教授の椅子に座ってしまえば何年もまともに研究もせず、論文の一本も書かない研究者もいるなか、K教授は学内で発行される研究紀要(半年に一本ペース)には、毎回、規定原稿枚数と締切を大幅に超過する大作を出し続けていた。
専門分野の研究という本業に関しては妥協なき仕事をする先生である。

研究者は自分の研究成果を発表するため、また他の研究者のそれを聞き、あるいはその後開かれる懇親会で酒を片手に議論を闘わせる。
その場でひとつの「事件」が起きた。

「歴史学者は経済のことをよくわかっていない」

こんな批判の言葉を聞いた歴史学者たるK教授の闘争心に火がついた。
発起したK教授は、なんと論文をだして経済学の博士号を取ってしまったのだ!
もともと持っていた文学(歴史学)の博士号とあわせてダブルドクターというわけである。
修士止まりの自分からすれば、博士号をふたつも取ってしまうことなど酔狂で出来ることではない。

さて、実はここまでが長い長い前振り。

かくいう私も最近、経済学に興味を持ちはじめ何冊か本を選んで読み進めている。

『シン・日本経済入門』藤井彰夫
『入門経済思想史 世俗の思想家たち』
『世界大恐慌』秋元英一
『昭和恐慌と経済政策』中村隆英
『昭和金融恐慌史』高橋亀吉

経済学を学ぼう!と思ったときに読み始める本としては王道ではない本ばかりだとは思う。
一応、歴史学で学位を取っている身としては歴史から入るのが手っ取り早い。
また、「恐慌」に至った原因・背景とその対策と歴史的位置づけを読むことで経済学のケーススタディをみることができる。
経済学の知識はせいぜい学校の社会レベルだが、歴史というステージならば攻め込める。
そんな感じで、新本・古本問わず手近にあったものから選んだタイトルたち。

苦戦しながら読み進めてはいるが、ある意味で未知の領域なので新しいことばかり。
楽しい。

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