漢文の海で釣りをして【第4回】変わるもの、変わらないもの
「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」
≪訳≫毎年毎年、花は同じように咲くのに、毎年毎年、それを見るひとのこころは同じようにはいかない
≪出典≫劉廷芝「代悲白頭翁」
古来より日本人にも愛されてきたフレーズです。「年年歳歳」「歳歳年年」は書き下すのが難しいのでそのまま「ねんねんさいさい」「さいさいねんねん」と読みます。これはこれで朗誦するとなかなかリズムがよいです。
「代悲白頭翁」は漢詩。この詩の作者は劉廷芝と言われています。甥である宋之問が創ったという説もあります。このフレーズを気に入った劉は宋に対して自分(劉)が創ったことにして譲って欲しいと頼みます。宋が断ると怒った劉が彼を殺してしまった、という逸話があります。ことの真偽はわかりませんが、甥を殺してまで自分のものにしたいほどの名句であるということを示しているわけですね。
さてさて。
同じものを見ているはずなのに、感じかたは必ずしも同じとは限りません。散る桜を見て「キレイだなー」と感じるときもあれば、もの悲しさを感じることもあるでしょう。
毎年同じように咲く花に対して、ひとは時とともに年を取っていきます。花は10年前と同じように咲いているのに、それを見るひとは10年前と同じというようにはいきません。
感じるのはひとのこころ。年をとり、老いていくのはひとのさだめ。それは毎年、同じように咲き誇る花と比べれば不安定なものかもしれません。
ものを感じるから不安定になる。しかし、だからといってものを感じなくなったらひとはしあわせか? 年をとらなくなったらひとは憂いから逃れられるでしょうか? たぶんそうではないと思います。