竹美映画評77 拷問ホラーみたいな「社会派」映画 『The Kerala Story』(2023年、インド、ヒンディー語他)
突然ネットで話題になったヒンディー映画『The Kerala Story』を私達も観に行くことにした。
インドのケララ州では、ISIS要員が若い女性たちを盛んに洗脳し、ムスリムに改宗させた上で中東に送っていた…。そんなショッキングな実話に基づいたスリラー映画。センセーショナルな描写と緊張感溢れる進み方に観客は息をのんで呑み込まれていた。
おはなし:
アフガン国境の国連の収容所で、ファティマと名乗る囚人の若い女性が捜査員の質問に答える…。ケララ州で看護学校に入学したヒンドゥー教徒の女学生シャリニは、ルームメイトのムスリムの女学生アシファの紹介で、他のヒンドゥーの女学生ギータンジャリと共にムスリムコミュニティーの男と知り合い恋に落ちる。楽しい交際の中で次第にイスラム教に傾倒し始める。カトリックの女学生でルームメイトのニマーはこれに抵抗を感じていたが仲良く過ごしていた。ところが実は、全てはISISの協力者によって仕組まれたものだった…。時にドラッグを与えられ、どんどん取り込まれ、実家とも疎遠になったシャリニとギータンジャリにはその後恐ろしい困難と恐怖と暴力が待ち構えていた…。
怖すぎる。
最初から最後まで、この「取り込まれたら最後まで出られない」というテロ組織の恐ろしさが貫徹しており、徹底的に主人公たちを絶望と逃げ場のない場所へと追い込んでいく様は、非常によくできていた。前半の幸せそうな中間層の若く美しい女性たちの日々が一転、どんどん堕ちていく様、しかもしれが、意図的に行われているとなったら…。邪悪な表情を浮かべる協力者の男達。そして暴力。観ているのが恐ろしいのだが、画面から目を離すこともできない。考えてみれば、予想外のことは一切起こらないのだが、「こっちに行かないで欲しいな」という点で全て悪い方に転がっていく様のえげつなさ。
上記レビューでも指摘されているように、脚本はやばく、キャストの演技は確かに、個性を感じさせたり内面を掘り下げるものではない。ある意味で平板で、普通だった。意図的にと思うが、主人公シャリニ、改宗してからはファティマが受ける受難と暴力の数々に泣き叫ぶのみである。内面的な葛藤はあるものの、それはあくまで、悪の侵入による恐怖から来たものである。というか葛藤はしていない。怯えるのみだ。そこが拷問ホラーと同じタイプの作り方かと思われた。そう、イーライ・ロスの映画観たときのいやーな感じと似ているのだ。でもイーライ・ロス作品は「笑い」にもっていくことでホラーとして完結させているのだと思う。しかし本作に笑いは一ミリも無く、故にホラー足りえていない。不思議な言い方だが。
ホラーじゃないことによる効果
ただ本作はホラーではない。あくまで、実録社会派ものであることをうたっており、そのマーケティングが幸いして、昨日5月5日の午後2時半からの回で、平日にも関わらず、ほぼ観客席が埋まっていた。話題作になっている。なぜなのだろう。これをどう考えるかは自分次第なのだが、「インドの敵はインドの外にある」という点を抑えている上は無視できない。また、「敵は知らないうちに忍び込んでいる。ほら、あなたの隣のあの人はどうですか」という疑問を持つときの暗い快楽を刺激しているのではないかとも推測される。
観客の大半は若い男性たちだったのも印象的だ。若く美しく純真な中間層の女性(ヒンドゥー教)が、異教徒に騙されて国外に売られている…それを若い男性グループが来て観ている。むろん家族連れもいたが、見てるのがつらい暴力シーンをあんな子供に見せていいのだろうか。もしそれが正当化される理由が「宗教」というレイヤーにあるのだとしたらどうなのだろう。子供に残虐なものを見せる意味とは、北朝鮮的に言うのなら、敵に対する憎悪を強くすることである。そこに思想教化的な部分も感じられた。
実際に被害に遭った人達の声も入っている映画なのだが、何がどこまで脚色で、どこからが真実なのかは判断のしようがない。何と言っても被害者のいる事件だから、観る方はそれを人として「真実」と受け止める他ない。特に国家主義&宗教だから、ヒンドゥー集合意識の大好物だ。3万2000人の若い女性が2016年から18年に行方知れずになったのだと、作中ニマー(彼女の体験も悲惨すぎて絶句…)は警察に訴える。そして、「私は絶対これをやめない!」と怒る。あまりのショックにそのときは何も考えられない映画だが、そこが印象に残ったとしたら、何とも言えずきな臭い映画なのだった。ホラーとして観客が読んでいれば、皮肉にもこのテーマでもきな臭くはないのだと思う。どう読んだんだろう。その数字は本当なんだろうか。
テロはインドの外からやってくる。
3万2000人の失踪…。観ているときは、インド全土でなのかなと思って、ありそうだと思い震えたのだが、実はそれはケララ州内で、という話だった。今日見たWikipediaでは、ケララ州の人口は4000万人に達していない。その中で女性が3万2000人…女性だけの数で言うなら、数百人に一人の女性が消えていることになる。多すぎないか?劇中でも「気持ちは非常に分かる。だがエビデンスを出してほしい」と警察が言っていた。まさにそうだろう。エビデンスの発掘によってこの映画は完成するはずだ。本当は。
恐らくほとんどの、州外の観客にとっては「こえー、やべー」くらいの感想しかないと思う。その位で止まっている位がいいのではないか…映画が世論を動かした!ってまるでいいことのように考えて来たけど、「事実かどうかはっきりしない数字」が独り歩きしたらどうだろう。そのはっきりしない数字を支持する事実を集め、組み立てて物語を完成させにかかるのが我々ではないだろうか。「3万人」という物語が先で、エビデンスは無いらしい。
私は本作、観る前は元々インドのムスリムの女性が何かに覚醒してテロリストとなっていくプロセスを描く物語なのかと思っていた。アメリカの極左運動の中で性的少数者が鉄砲玉となって極左テロに身を投じていく様と妙に重なるような気がするそういう人たちの生き方や内面が知りたいから。
ところがそうではなかった!徹頭徹尾、「テロはインドの外からやってくる」という物語なのだった。つまり人の内面は描いていないし必要がなかった。なるほど。今はやはりインドではこの物語の方が支持されるのだろう。ホラー紛いの表現にすることで、現実のインドのムスリムに攻撃が行かないようにしているのかもしれないが…でも、作中インドのムスリムで、工作員じゃない人と見えた人物は1人だけ、おまけにその人はセリフ無し。その方が映画としてはすっきりしているが、ある物語にぴったりはまる。「インドは自由で開かれた社会。でもお隣さんは正反対だ」という虚構に。
インドマジョリティーの良識が試されているのかもしれないし、そんなものは特に無いのかもしれない。