H.N.
他ではあまり語らない、心の内をそのまま語ったエッセイ集。実話、創作共に、どちらも。
「自己肯定感を高めろ」に疑問があった 誰しも一度は耳にしたことがあるであろう言葉、「自己肯定感」 SNSの普及が人の社会や人に多大な影響を与えるようになった近現代において、自己肯定感の有無は重要課題と言うより、「必須科目」、と記した方が適切であろう。 誰もが一度は直面する(かもしれない)問題だからである。 毒親育ちな僕も過去20年自信がなかったし、自分が大嫌いだった。周りはみんな輝いて見えたし、向けられる視線すべてが何かこう、異質なモノを見ているように感じられて、とて
今朝、親に久しぶりに3人でブランチ食べに行かないかと言われ行く気で準備してた。けど玄関出てすぐ「半額出して貰ってもいい?」と言われて。あぁそっか、この人達は平気でこういう事言える親だったんだ、と過去退行してしまい今とても辛い気持ち。なら家で自炊した方が効率いいし「俺作るよ」と言ったのだけれど、「えーなんで?久しぶりに3人揃うんだし行こうよ」の一言。 家族との時間は大事にしたい反面、この人達は朝から、 " 僕が出す前提で予定を組んでいたのか " と思ってしまい少し苦しか
「ねえ先生、私、先生みたいな教師になるよ」 塾講時代の教え子と久しぶりに再会した。2年ぶりの、会話だった。 「良いじゃん。君の生徒になる子は幸せだろうな」 「ほんと先生、変わんないね」 そう言われた僕には、なぜか返す言葉がない。 毒親の元で育ったという彼女は最初、お世辞にも愛想が良いとは言えなくて、どこかキツく、そしてどこか寂しそうだった。そして初めて君と会った時、僕はその不完全さをとても綺麗だと思った。 強く、でも儚い君が泣きながら「人生変えたい」と言った時、僕
一つの顔しか持たない人間などいない。誰しもどこか、二面性を持っていると思う。 家族と友達に見せる面が違う人が多いように、皆それを自覚し、どこか上手く、使い分けて生きている。 僕自身は、最近生活環境が変わったことで日々が忙しく、とても楽しく生活できている。職場の人にも学校の人にも、そして側にいてくれる親友や大切な人にも、本当に恵まれたな、と。本当に、周りの人達のおかげです。皆さんいつも本当にありがとうございます。 でも一方で、すべての人間関係に置いて単一の自分でいられない
人には人の地獄がある。その人しか知り得ない、光の当たることのない孤独。誰かに言いたい時期を通り越した、その人の全てを形作った、そんな孤独があると僕は思う。 先日、仕事で知り合ったばかりの人と二人で話していて思うことがあった。改めて、人の見えない地獄に想像力を働かせていられる自分でいようと強く心に決めた。少しばかり綴ろうと思う。 自分のことを「酒乱だから」「俺歪んでるっしょ笑」「意地汚い人間だろ?」と語るその彼を、僕は最初、「ああ、皮肉屋なのかな」と思っていた。でもそんな彼
緊急事態宣言が出されて明日で1週間。そんな今、パンデミック後の世界に想いを馳せる人は多いのではないだろうか。 歴史を振り返ると、その渦中にあるときには意識が及ばなくとも、後で、そのことが時代の大きな転換点であったことに気づくことがある。 たとえば東日本大震災。地震による津波で原発のメルトダウンが起き、世界中で報道された。それに伴い現代科学技術やそれに対する行政・政策の不備が明らかになり、信用が損なわれた。 当時では、東電の責任を問うニュースが多かったように思える。そして