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心の器を広げるために
「器が広い人」というのはとても良い誉め言葉です。
その人の性格や能力、言葉や行動、すべてを含めて「感じがいい」ということを示しているように感じます。自分が言われても嬉しいですし、子どもたちには「器が広い人」になってほしいと願うものです。
さて、では「器が広い」とはどういうことなのか少し立ち止まって考えてみましょう。
「細かいことでは怒らない」とか、「いつも堂々としている」とか、いろいろなイメージが浮かびます。
「心の器」を私たち一人ひとりが持っているのではないでしょうか。
大きい器や小さい器、丈夫な器もあれば脆い器もあるでしょう。そして、その器の中には自分の人生で起きた出来事が「心の水」として溜まっています。
たくさんの出来事があり、心の水が溢れてしまうときが、私たちにとってストレスの限界が来ているということです。
みなさんの器にはどのくらいの水、ストレスが溜まっていますか。
たくさんのストレスで限界ぎりぎりを生きているという方もいらっしゃると思います。
私たちができることは二つあり、「器を大きく丈夫にしていくこと」と「器の水を抜いていくこと」に分けられます。
あるストレス場面を思い浮かべてみましょう。目の前の人があなたを苛立たせる発言をしました。その時、自分はどう対応するのか想像してみてください。
ここで寛大な態度で対応できるのか、それとも感情のままに腹を立ててしまうのか、器の大きさと水の量によって決まってきます。
「相手の事情を想像してみる」や「怒っても仕方がない」ということを知っているのは器の大きさにより決まります。
それに対して、水の量という点では、私たちにとって日々の疲労が蓄積していたり、ストレスが溜まっているときには、「怒っても仕方がない」ということを頭では分かっていても我慢できないことがあります。器いっぱいに水が溜まっていると、少しのストレスの水が入っただけでもあふれ出してしまします。
「器が広い人」になりたいと思ったときにはどうすればいいのかが課題になります。
怒らないための考え方や方法を学ぶことが「器を大きくする」ことになるでしょう。仏教は私たちの「器を大きく丈夫にしていくこと」ではないかと思います。
しかし、なかには「仏教なんか聞きたくない」と思うこともあるのではないでしょうか。
目の前の忙しさに追われているときや、なにか大きなストレスに直面しているときは、新しい情報や考え方を自分に入れる余裕がありません。
少しでも新しいものを入れると「心の水」が溢れてしまいそうなときは、「器を大きくする」どころではありません。
まずは「器の水を抜く」ことが大切です。ゆっくり休んでみたり、ストレス発散をしたり、単純なようで私たちにはとても重要なことです。
「器が広い人」になるためにはまずは無理をせずにゆっくりと休み、ゆとりのあるときに人生を豊かにするような「教え」に触れていただけたらと思います。