東長崎北口駅前広場について〜駅前広場ラジオ体操中止に寄せて〜 からのポストコロナの世界に馳せる思い
夏の日差しは早朝から容赦なく地面を焼く。今日もどうやら暑くなるみたいだ。
東京オリンピックでアスリートスポーツに注目が集まった一方で、近隣町会の「夏休みラジオ体操会」はコロナ禍の影響で中止になっている。
毎日開催していた東長崎北口駅前広場のラジオ体操も少し前に中止になった。
ただしその理由はコロナでも、暑さのせいでもない。
東長崎駅から中止の通達があったからだ。
東長崎駅前ラジオ体操のはじまり
僕が仲間と2012年から始めた「ながさきむら村議会」という活動も9年目を迎えている。これは僕が東日本大震災を経験した事をきっかけに町会や商店会、その他のコミュニティとの繋がりをもっと深めたいと思ったのが始まりだ。当時まちづくりに関心を示していた美容師I氏と劇場支配人N氏にそれぞれ相談してスタートさせた。
その最初の一歩として始めたのが駅前広場のラジオ体操だった。
東長崎新駅舎ならびに駅前広場落成イベント以来、駅前広場でイベントが開催されてこなかった話題から、2012年当時流行していたラジオ体操をまずはやってみないかという話になった。ラジオ体操をはじめるにあたって元区議会議員のH氏にお願いして豊島区の担当部署に確認を取ってもらった。ラジオの音量や早朝なので騒がしくならない事、通行の妨げにならないように気をつけるなどの注意はあったが、「このくらいの活動は問題ないでしょう」という感じで口頭で許可いただいた。
こうして東長崎駅前ラジオ体操は始まった。当初は月曜から金曜日までの週5日の活動だった。
最初は仲間で申し合わせるように二〇名程度集まって開催していた。僕は言い出しっぺだったので毎朝ラジオを持参した。仲間で始めた活動だったけれど、クチコミで広がって色々な人が参加するようになっていた。一方でコアメンバーは早朝活動には若干無理をして参加している人もいたので、一般参加者と入れ替わるように少しづつ減っていった。僕はラジオ持参担当者としての責任感から参加し続けた。
ある時は近所の高齢者女性と二人で体操した事もあった。誰も来ない時はさすがに一人ではやらないなあ、ということですごすご帰宅したこともある。それも毎朝6:30には体を駅前広場に運んで人が集まるのを待っていた。僕は、夜に深酒してついすっぽかしてしまった事もあるにはあったが、なるべく頑張って参加した。地域の習慣として定着してきた2014年に、参加者から土曜、日曜もやりたいという意見が出て、雨天を除く毎日開催することになった。僕はそういう要望が一般参加の人から出てきた事を嬉しく思った。その頃には僕だけではなく何人かがラジオを持ち寄るようになり、僕がいなくても継続できる形になり始めていた。
2018年に父が入院することになり、朝の仕事が増えると僕はあまり参加出来なくなった。それでもラジオ体操は快調に続いていった。もはや駅前広場ラジオ体操における僕のファクターは限りなく無になっていた。それは元々自主性のアプローチを目指していたながさきむら村議会的にも喜ばしいことで、僕自身もある種の重責から解放された。それ以降はたまに参加していたが、同じ時間で本を読んだり文章を書いたりする活動を重視するようになり、2019年途中からは完全に参加しなくなった。
広場は誰のもの?
さてそんな9年の歴史を積んできた駅前広場ラジオ体操だったが、2021年6月突如出来なくなった。駅前広場の土地所有者である西武鉄道から中止を言い渡されたのだ。経緯としてはこうだ。ある日西武鉄道のお客様相談センターに東長崎駅前広場ラジオ体操に関するクレームが入った。そのクレームの内容については詳しくは伺っていないのだが、コロナ禍ゆえに集まって体操をする事への苛立ちが原因だと想像できる。それにしてもその一本のクレームによって一切の対話もなく、土地を所有しているという権限の元にラジオ体操は排除された。
いくつかの問題点が存在するが、ここでは「広場とは」という観点に絞る。
駅前広場が西武鉄道の土地であることは事実なのだが、その運営の管理については豊島区都市整備部が担っていた。設備の管理や、広場で区民の活動をする際の許可などは豊島区の仕事だった。その申し合わせ事項については詳しいことはわからない。この事件があった後で区役所に相談しにいった際も、10年以上前のことで申し合わせの更新もされていないところから、どの程度の活動が許容されるかなどは明文化されていない様子だった。豊島区の担当者さんはとても熱心に話を聞いてくれた。
ここで「そもそも広場とは」をWikipediaで引いてみる。
上記の引用の通り、広場とは歩行空間でありながらレクリエーションの場として定義されている。他の辞書サイトをみても概ね上記の説明で、加えるなら文化的には西欧的な概念であると追記を見た。
日本の場合はどうか。同じくWikipediaに頼る。
どう読むかにはなるが、「歩行者等の休息、鑑賞、交流等の用に供する事を目的」と明記されているところからも、広場の概念は西欧のものと大差はないと思われる。あるいは西欧型の広場を輸入したものと言える。
そうなると西武鉄道が豊島区と共同で駅前を広場として整備する事を同意した時点で、それらの文化的な意義は付加されている。ただの通路であるというのは通らない。
そして今回の対応は抽象的に言えば「広場」の概念を一本のクレームを持って矮小化したということだ。西武鉄道は広場の概念を地域社会の合意もなく、所有者の権利主張のみで書き換えてしまったのだ。僕はこれは大問題だと思っている。
クレーム自体は個人の主張として認められる。コロナ禍の苛立ちかもしれない。その感情的な意見だって主張する自由はある。しかしそれを判断する時には対話が必要だったのではないだろうか。所有者であることは事実だとしても、区との申し合わせの上で広場にしたという事実がある以上、所有者権限でけで決めるのはいかがなものだろう。
僕は一連の流れについて残念さを通り越して怒りに近い感情を持っている。何故こちらの言い分を聞いてくれなかったのか。豊島区を交えての対話の可能性は本当になかったのだろうか。その手間をとることが面倒くさいだけなのではないか。
非合理を排して、合理性だけを求める果てに待つものは
唐突に大きな話になるが、コロナ禍以降に先鋭化したのが無駄を許さない合理性である。人と会うこと、移動することは感染症問題に触れた途端に非合理性が強化された。それによって非合理なことは排除するべきとなり、その結果が今の閉鎖的な社会に繋がっている。
今回の事案も西武側としては今後同じようなクレームが来たら「めんどくさい」から所有者権限で排除しようという事になったのだろう。
でもそれは民主的な手続きではない。そもそも民主的な合意形成というのは「めんどくさい」ものなのだ。そのめんどくさい、時間がかかる、余計な手間を引き受ける、をやめた先にある僕たちの社会ってどういうものだろうか。
残念ながら僕たちの社会は超合理化社会に向かっている。広場の概念を振り返って考えるという事が出来なくなっている。考えるより先にパンチが繰り出される時代になっている。それは果たして正しい事なのですか?というのが僕の結論ーというか問いかけである。
結びに
ところでラジオ体操は町会を通じて近所の公園で継続することが決まったそうだ。僕が参加しなくなった中で、参加者が自主的にラジオ体操自体を継続する道を模索してそのような形になることは、とても民主的で素晴らしい事だと思う。
しかしそれをもって解決とする事には僕は承認できない。駅前広場のあり方を考えることは、そのまま地域社会のあり方や社会に対する個の自主性を考えることにつながる。なのでこの件については今後も継続的に議論をし、行政にアプローチをかけながら健全な形での対話が成される事を僕は望んでいる。
長い追伸(おまけ)
一応、このように結んでみたものの、長年日本社会の中で一定の地位を築いてきた西武鉄道という会社が、人権や民主主義についてこんな基本的な事にも理解が無いという事に失望を禁じ得ない。西武ほどの企業で働く人というのは殆ど大卒だろう。つまりリベラルアーツを学んでいるはずである。それにも関わらず今回のような対話もなく地域住人の活動を排除する判断を出来てしまう。日本の大学教育とは一体なんなのか。大学で何をしてきたのか。そんな疑念さえ浮かんできてしまう。
それにしてもたった一つのクレームが絶大な効果を発揮したのは、西武のお客様センターに電話したところにある。ここはクレーム主の戦略の勝利といえよう。それは言い換えれば企業は企業イメージを損なうことを最も恐れるということが、広く認知されている事に他ならない。さらにそれを跳ね除けるだけの余裕すら無くなってきているということだ。会社の中でそのクレームについて議論することもないのだろう。クレームを処理する手間は一銭にもならないか。それにクレーム処理に失敗すればSNSの餌食にもなりかねない。コロナ禍で集合してラジオ体操なんかやっている人々こそ、今の状況を見誤っている。だったら排除しても問題ない。そう考えたのかもしれない。そういう意味では何かしらの議論はあった可能性はある。
しかしそこに無かったのは、体操をしている人たちの弁明の余地だ。クレーム主に言い分があるように、活動側にも言い分がある。その言い分を擦り合わせる、つまりは対話の機会が一切なかったことが問題だと僕は言いたいのだ。
ラジオ体操の活動は2012年から実に9年間も続けてきた。昨年までの8年間で「うるさい」「邪魔」などのクレームがあったという報告は無かった。とても健全に運営され、地域コミュニティの活性化に一役買っていたはずだ。明らかにコロナ禍のクラスター恐怖が影響していると思われる。
実は昨年、ラジオ体操会場登録をしている「NPO法人ラジオ体操協会」からうちに電話がかかってきていた。僕が駅前広場ラジオ体操の窓口になっていたからだ。電話の内容は「駅前広場でラジオ体操をしている人がマスクをしてない。このご時世いかがなものか」というものだった。当時、すでに僕は参加していなかったから、参加している友人に一応気をつけるよう伝えるに留めていた。今回のクレームがその人と同一人物かはわからない。
さらにTwitterで検索してみると、都内のどこかの駅前広場ラジオ体操をdisるツイートがちらほら存在することもわかった。
何かを活動的にやっている事を常に苛つきながら眺める人は一定数いる。記憶に新しいのでぼかして書くが、ルサンチマンから起こってしまった事件がつい先日あった。コロナ禍において人の苛立ちはさらに磨き上げられ、実際に攻撃に転じてしまうケースも
出てきている。「おかしな奴が起こした事件」として怒りを持つのは当然なのだが、そんな事件を起こした人も元々は同じ人間であるという感性が必要だと僕は言いたい。
つまり何かの拍子に僕だって強いルサンチマンから誰かを傷つける言動や、実際の攻撃に転じる可能性があるという想像力の話だ。
確かにそういう想像力を違う形で行使すると、意見を無視されたと思ったクレーマーがラジオ体操参加者に危害を加える可能性を浮かべてしまう。そうなると中止させる方が安全に配慮した事のように思われる。
だけどそれは違う。それを繰り返していくと、匿名のクレーム戦略に長けた人間が合意形成を作っていう手間を省いて権力化してしまうということに他ならないからだ。安心安全が前面に出過ぎるとそういう可能性全てを消去していくことが正義になるが、究極それはいつかは「人間は何もしない方が良い」という事になる。大袈裟に思えるかもしれないが、コロナ禍における飲食店への対応や若者に対する問題は全てその発想の先にあると言える。
コロナが広がらないためには、人は何もしない方がいい。
当然そんなことは出来ない。食べていかなければいけないし、お金も稼がなければいけない。仮に十分なお金を支給されたとしても、生産者が働かなければ米も肉も魚も野菜も市場に出ない。それを運輸する人がいなければ都市部に食物は届かない。Uber eatsがあればデリバリしてもらえると思っている人は、それを運ぶ配達員、食品を加工しているうちのような惣菜店や飲食店は存在しないとでもいうのか。それに保存するにも加工するにもエネルギーがなければ出来ない。電気エネルギーは発電所で作られる。そこで働く人がいないと電気も生産できない。
人間社会は誰かの仕事の上に成り立っている。その当たり前なことがコロナによって忘れかけているのではないか。そしてその流れの中に駅前広場のクレームの件もあるのではないだろうか。連関がわかりづらいかもしれないが、公衆衛生第一主義、安心安全至上主義の行き着く先に、もしかしたらすでに行き着いてしまったのかもしれない。
アフターコロナは全く違った世界が待っていると言う人が結構いる。そうやって前向きに転換するのは結構なのだが、そもそも人間が社会で実現してきた事の多くが、人との接点を持って協働してきた結果であって、人と会うことが単なるリスクとして捉える時代が続くとしたら、僕はそんな世界は絶対に許さない。そういう意味では僕はとてつもなく悲観しているという事になるだろう。実際僕はこれから先の未来に期待はしていない。
それでも僕は人間を信じたいと思っている。だから駅前広場の話から、コロナの話に展開して長々と書いている。単に間延びしただけかもしれないが、書きたいことをあまり編集せずそのまま書きつけようと思った。連休中の余裕がなせる業。多分そうだろう。
ともかく僕は40代のゲートを潜った。どれだけ生きるかわからない。一度社会的なこと政治的なことから距離を置いたのだが、もう少し頑張っていきたい。
老若男女がラジオ体操に興じる風景が、東京のとある駅前広場の日常として復活出来る事を強く願う。
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